日々のつぶやき

前の月

'07年11月

次の月

sun

mon

tue

wed

thu

fri

sat

       

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

12

13

14

15

16

17

18

19

20

21

22

23

24

25

26

27

28

29

30

 
             

2007 島おたく通信 part32 タコ焼&もんじゃパーティ 2007.11.30
引き続き、今日も天気悪いっす。(・A ・)

船は今日も上下便とも欠航。
昨日にも増して、スーパー引きこもりな一日となりました。
寝ようと思えば、意外と人間、寝られるものです。

夕方、傘が折れそうな風雨をついて散歩に出てみたら、
すれ違うクルマの人が、みんな( ゚Д゚)ナンジャコリャみたいな表情でわたしを見ます。
だって、足が退化しそうだったんだもん。

日がとっぷり暮れてから、
Nちゃんちのクルマで鳥の尾というビューポイントに出かけてみましたが、
当然、真っ暗でした。。。

夕食後は島の人たちのバレーボールの練習試合に参加して、
(参加したのはJちゃんとNちゃんで、
バレーボールを100万年触っていないあたしは得点係が精一杯。。。)
その後はお好み焼パーティ第2弾を開催すべく、
かっちょいい多機能ホットプレートを持っている島民Kさんの家へ。
タコ焼ともんじゃを作って、総勢8名で食べました。

巣鴨生まれ、学校が月島の近くだったというもんじゃクイーンNさん、
華麗な手さばきでもんじゃ作ってくれて、あざーっす!
すげー(゚Д゚ )ウマーでした。

大阪生まれのKさん、タコ焼奉行の任務、お疲れさまでした。
タコ焼がおいしかったのは、きっとわたしが持参したタコのおかげですねっ。w

本来、アウトドアでお好み焼を企画していたものの、
今回は天候不良のためにインドアお好み焼になりました。
次回はぜひっ! アウトドアお好み焼リベンジしたいっす!!!

そのときはまた集まってね。>ALL

↓タコ焼も、もんじゃもマジうまかった! (・∀・)

2007 島おたく通信 part31 アフォにつける薬は…… 2007.11.29
今日は朝からすっげー天気悪いっす。

案の定、船は上下便とも欠航。
午前中、高台から桟橋を見たら、波が桟橋を洗っていました。

こんな日は、引きこもるに限ります。
観光案内所のKさんがせっかくカッパを貸してくれたのに、
雨・風ともに強くなってきたので、宿に引きこもってしまいました。

部屋でごろごろ。ごろごろ。ごろごろ。

空が薄暗くなり、「あーあ。なんにもしないで一日が終わったなぁ」と思っていたら、
Nちゃん、Jちゃんが「海に行こう」と大胆な提案。
Jちゃんが泳ぎたいというのです。

桟橋まで降りていくと、そこは荒波押し寄せる男の世界になっていました。
誰もいない客船待合所。
窓の外ではドッカンドッカンと砕け散る波が桟橋を豪快に包み込み、
風がゴーゴーと唸りを上げていました。

うそだろ? ありえねーだろ? この天気に。
しかも、もうすぐ12月。正気ですか、アナタ。

あたしは客船待合所でウエットスーツに着替えるJちゃんを
ただただ( ゚Д゚)ポカーンと見ていました。

それから10分たち、20分たち、結局海に入らないJちゃん。

「やっぱり無理だよなー」と思っていたら、
やおら彼は立ち上がり、海へと向かって……。

遠巻きに、アフォを見守る女子2人に向かって、
得体の知れない変身ポーズを決めたのち、彼は海へと飛び込んで行きました。

海から上がったJちゃん曰く「9割怖くて、1割楽しかった」そうです。
見ていたわたしは、寒さと( ゚Д゚)ポカーンが半々って感じでした。w

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は宿に夕食を頼んでいなかったので、
Nちゃんの実家の厨房を借りてお好み焼を作りました。
(Nちゃんのお母さん、いろいろありがとうございました!)
お好み焼は、(゚Д゚ )ウマーでした。
そもそも今回の御蔵への旅は、お好み焼が目的だったんですよね。

結局Nちゃんちで明け方の3時半ごろまで食べて飲んで、宿へ。
気づくと明日の朝食まであと4時間になっていました。

↓上段・荒れ狂う桟橋。下段・アフォ約1匹。

2007 島おたく通信 part30 着岸! でも天気ワロス 2007.11.28
AM6:05 さるびあ丸、まだ薄暗い御蔵島港に着岸しました。☆-(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノイエーイ

さすが、着岸率100%男、Jちゃん。エライ!
着岸しなかったら土下座ということになっていたけれど、
とりあえず賞賛の拍手。パチパチパチ

三宅までも、三宅を出てからも船はほとんど揺れていなかったので、
わたしも着くと確信していましたが。

でもですねぇ、宿で仮眠して昼頃起きると、
風がたいぶ強くなっていました。

ランチにNちゃんお手製のパスタを食べて、さぁ出かけるか、というころには、
雨、風ともにかなりの強さに。

Nちゃんちのクルマで都道を南郷まで走りましたが、
霧と雨でなかなかスリリングなツアーとなりました。
夕方の桟橋もかなり海水をかぶってましたね。

今回の泊まりは、M荘だったのですが、
夕食のときにいろいろカクテルをつくってもらったので、
3人でガンガン飲んで、バッタリと寝ました。

明日も天気は悪そうっす。
お好み焼パーティできるかな……?

↓上段左・さるびあ丸、薄暗い御蔵島港に着岸しました。
  上段右・南郷へ行く道。霧で先がよく見えません。
  下段左・16:50の桟橋。雨と波で濡れています。
  下段中・Nちゃんが作ってくれたアンチョビとベーコンとシメジのパスタ。(゚Д゚ )ウマー
  下段右・いろんなカクテル飲みました。作ってくれたM荘のKさん、ありがとうございます。

2007 島おたく通信 part29 御蔵島へ! 2007.11.27
昨日、東京に戻ってきたと書いたから、今年の島旅はもう終わりだと思ったでしょ?

ところがどっこい、まだ旅は続いちゃうんです。

ワタクシ、昨晩怒涛の洗濯を終え、再び怒涛の荷造りをして、
本日22:30竹芝桟橋発の船で御蔵島に向けて旅立ちました。

今回は珍しく一人ではなく、島娘Nちゃん、Nちゃんと共通の友達のJちゃんと一緒。
船の中で2時半ころまで飲んで、沖縄で買ってきた30°の泡盛を1本空けちゃいました。
Jちゃん、テンション高いっす。
それをNちゃんがたしなめている感じがオモシロイ。

船は条件付だけど、着岸率100%のJちゃんパワーに期待。
わたしも根拠のない自信で、御蔵島に降りられそうな気がします。

今回の目的は島でお好み焼パーティをすることなのですが、
船が御蔵を素通りしたら、八丈島でお好み焼決行っす! w

↓レインボーブリッジ通過中。実はワタクシ、ただいま着岸2連敗中です。。。

2007 島おたく通信 part28 沖縄から東京へ。 2007.11.26
家を出て九州に向かったのは10月26日。
1か月が経ち、ついに東京に戻る日がやってきた。

天気は今日も悪い。
荷造りを終えて1万1000円ナリの宿泊費を払うとき、
わたしの財布に1000円札が1枚もなく、2万円からお釣りをもらおうとした。
すると、「9000円分の釣り札がないから1万円でいい」と、おかあさん。
それでは申し訳ないので、ジャラ銭800円を渡し、
来年200円を返しに、必ずこの宿に戻ってくることを約束する。

「そうね。じゃあまた来てね」

おかあさんと手を握り合い、「じゃあ、また」と言って宿を出た。

石垣では数年越しで行ってみたかった辺銀食堂が初めて開いていたので、
(石垣島ラー油で有名な店だが、ラー油製造が忙しい時期は店を閉めている。しかも、不定休)
餃子+ジャージャンすばの昼セットをオーダーする。

その後、石垣から那覇へ移動し、20:50のフライトまで、那覇の街を徘徊する。
仕上げは小禄のジャスコでおみやげドカ買い。(´Д`;)
大きな荷物を引きずって、23時すぎに羽田に着いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なぜだろう?

祖母山に登ったのがこの旅のオープニングだったんだけど、
もう何年も何年も前のことのように思える。

佐世保市の黒島、高島。
平戸市の的山大島、度島、高島、生月島、平戸島。
松浦市の青島、黒島、飛島、鷹島。
唐津市の向島、高島。
志摩町の姫島。

九州の島々で遭った出来事も、遠い昔に読んだ本のように、
すでに懐かしい思い出に変わっている。

わずか、1か月の間の出来事なのにね。

そして、17回目の西表&石垣は、
自分が毎年ここに戻ってくる理由を、改めて認識させてくれたような気がする。

今年も、いろんな港に降り立ち、
いろんな人に会い、いろんなものを見て、
いろんなことを考えました。

海は、陸と陸(島と島)とを隔てるものであると同時に、
陸と陸とを繋ぐものだ、と、わたしは思っています。

いつかまたこの海を渡って、懐かしい人々に出会えたらいいなぁ。
新しい人々と繋がっていければいいなぁ。

そんなことを考えながら、わたしは帰途についたのでした。

↓左・シーサーもサンタの衣装。もう、クリスマスシーズンなんですね。
  右・那覇の街角の交通標識。スリップするクルマになにやら怪しいものが乗っています。w

2007 島おたく通信 part27 石垣でも|_ー) ヒキコモラー 2007.11.25
台風が近づいているせいでしょうか。
今日の石垣は風、雨ともに強く、窓の外ではセンダンの木が大きく揺れていました。
こういう日は、なにもしないに限ります。

明石の宿を選んでよかったのは、
西表のI荘と同様、ウダウダできる気持ちのいい空間があること。

昨晩はわたしを含めて7人のお客さんが泊まっていたのですが、
1人はダイビングに行き、3人は帰り、
わたしを含む残る3人は宿でまったりしていました。

料理で評判のいい宿らしく、
この日の朝食はグルクンの唐揚げ、ジーマミ豆腐、赤米のご飯など、
沖縄の味満載。(・∀・)
たっぷり食べたのに、そして全然動いていないのに、
昼にはおなかが空いちゃうのはなんでだろう。。。(´Д`;)

13時になったので、重い腰を上げ、
宿のおかあさんの友だちがやっているカフェレストラン「花南」に行ってきました。
すっごく場所がわかりにくいところにあるのに、店は満杯。
豆腐づくし定食(ドリンク付き900円)をオーダーしてみましたが、
おいしくて、店の雰囲気もよくてオススメっす!

それから、先日西表でライブを聴いた「まいふな」のCDを探すため、
TSUTAYAに行ったり、石垣中心部の店をうろうろしたり。
結局、見つけることはできなくて、またそのまま風雨の中を宿まで戻ってきました。

で、夕食。
大皿に沖縄の味がド━(゚Д゚)━ ン !!!と並び、みんなで取り分けるスタイルが新鮮です。
どれもこれもおいしくて、なんかカラダの中から健康になれたような気がしました。

今日はほとんど2足歩行していないのに、食べてばっかり。
旅も終盤だけど、今回は序盤から飽食続きで、体重計が怖いっす。((((;゚Д゚)))

↓上・天気ワルー。(´・ω・`)
  下左・宿の名は「月桃の宿 あかいし」といいます。
  母屋には吹き抜きの気持ちのいい空間が広がっています。
  緑も多くていい感じですが、アリが多いです。。。
  下右・夕食は大皿に盛られてきます。宿泊客はわたしを除いて常連さんで、
  配膳のお手伝いをしていました。わたしだけ食べるだけでスマソ。

2007 島おたく通信 part26 西表から石垣へ 2007.11.24
今日、西表を離れて、隣の部屋に泊まっていたSちゃんと一緒に石垣に渡りました。
上原港まで送ってくれた母さんは、帰り際に「よいお年を!」と。
今年も残すところあと1か月余り。
八重山ではまだまだ半袖で過ごせるのに、もうそんな季節なんですね。

上原便は今日も欠航だったので、大原までバスで出て、安栄号に乗りました。
今日はパナリ(新城島)から乗る人がいるということで、臨時にパナリに着岸。
(パナリにはほとんど人が住んでいないので、依頼がない限り船は着岸しません)
パナリ付近の海の色はターコイズブルーで、本当にきれいでした。

今回、石垣ではすごーく辺鄙なところに宿を予約していたので、レンタカーを借り、
帰りの飛行機までまだ少し時間があったSちゃんを乗せて、川平湾に行きました。
尼崎から来ていたSちゃんは、初ひとり旅、初八重山、年齢はわたしの半分ぐらい。(´Д`;)

川平湾を見て「わー、むっちゃキレイやわー」と驚くSちゃんを見て、
わたしも「初心を忘れちゃいけないなぁ」と実感。
川平湾に何度も来ているわたしは、つい感動も薄れがちだけど、
やっぱ、この海の色は(・∀・)イイ!!

Sちゃんを空港に送ってから、宿のある明石へ。
石垣の中心部から40km近く離れているので、なにかと不便なのはわかっていたのですが、
最近石垣では、1800円くらいで泊まれるドミトリーの安宿ばかり泊まっていたので、
自分としては奮発して、口コミなどで評判のいい民宿を選んでみました。

今日は民宿のおかあさんが同窓会で夕食が作れないということだったので、
再び石垣中心部へ。
おかあさんに八重山古典民謡コンクール受賞者発表会のチケットをもらい、
夕食前には市民会館で民謡を楽しんできました。

石垣中心部と明石を行ったり来たりしたので、今日の走行距離は120km超。
意外と石垣島はデカいのでした。

上・パナリ付近の海。後ろの島が西表です。下・川平湾。

2007 島おたく通信 part25 ヒナイサーラと島唄の夜 2007.11.23
多少雲はあるものの、今日は晴れています!
なので、午前中は宿でゴロゴロして、昼からヒナイサーラに出かけてみました。
昨年、今年と大きな台風に襲われた西表島。
陸路からヒナイサーラにアプローチする道は、
びっくりするほど倒木が多く、
幹の直径が50〜60cmくらいありそうな大木もボコボコ倒れていました。
この道、以前はうっそうとしたジャングルの中の道という感じだったのですが、
木がなぎ倒されたり、枝が折れたりで、自然光の中の明るい道になっていました。。。

滝の上でしばしのんびり。
午後から出かけたせいか、ツアーで来ている人は10名弱で、
すぐに帰ってしまったので、ひとしきり一人でぼーっとできました。

夜は船浦中学校50周年記念行事の音楽祭へ。
デンサー節や三線もよかったのですが、
ゲストで来ていた2つのユニット、「ゴモク」と「まいふな」の演奏と唄がすごーくよかった!
特に与那国出身の「まいふな」の演奏には涙出ちゃうくらいカンドーした! (;∀;)
ゴモクのCDは買ったけど、
まいふなはCDを持ってきてなかったので(なんて無欲な人たち!)、
明日石垣で探してみようと思います。

西表でこうした行事に参加するたびに楽しみなのが、抽選会。
ワタクシ、以前、上原小学校創立100周年のイベントで見事、扇風機をゲットしています。
今回は那覇〜石垣間の往復航空券をゲット━━━━⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡━━━━!!
と、いいたいところですが、スカでした。(´Д`;)

その後、I荘でちょっと飲み、
真夜中に同宿の人と3人で上原港まで散歩に行って、
無人売店でパイン棒(50円ナリ)を買って食べながら帰りました。

旅に出て約1か月になりますが、
ようやくここにきて、旅の空の下にいる幸せを感じられるようになりました。
八重山は、まだ半袖+素足で過ごせます。
この、ほんわりとあたたかい風に吹かれながらそぞろ歩く時間が好き。

やっぱりわたしは、八重山が大好きです。

↓上段・今日のヒナイサーラの滝の上。
  下段左・台風の爪跡。西表は島中倒木だらけでした。
  下段中・夕焼けがきれいでした。わたしの部屋から。
  下段右・音楽祭で演奏中のまいふな。会場でゴモクのCDを買ったら、
  メンバーから「どちらからですか?」と聞かれ「東京」と答えると、
  「僕たちも東京でライブできるようになりたいです!」とキラキラした目で語ってくれました。
  「ガン( ゚д゚)ガレ」と言って、握手してきました。

2007 島おたく通信 part24 晴れ but 強風 2007.11.22
朝起きたら、雨でした。。。

今日も引きこもりか、と思っていたら、だんだん青空が広がって日差しも強くなってきました。

なので、今日はチャリを借り、お気に入りの場所・祖納ふるさとの森展望台に行ってきました。

この展望台、できた当初は標識などもあったのですが、
いまはなんの目印もなく、知ってる人だけの秘密スポットっぽい感じになっています。
(一番上の展望台までは、道も少々荒れています)
なので、ここで誰かに会うことはまずありません。

セミの声を聞きながら、ひとしきりぼー。(・о・)
ちょうど干潮だったので、内離と外離が白い砂で繋がっているのが見えました。

今日、I荘のお客さんは自分を含めて3人。
今日は夕食なしの日で、ほかの2人はそれぞれの予定があったので、
ひとりで上原まで行き、食事&散歩をしてきました。

昔、I荘から上原に行く道の途中では、
何万匹というホタルを見ることができました。
草むらの中は、クリスマスツリーに絡むLEDみたいに蛍の光がきらめいていました。
この十数年で町営住宅や公民館が立ち、草むらは失われ、
今日見ることができた蛍はわずかに4匹でした。

西表に来るとなぜか過去のことばかり引き合いに出してしまいます。
この十数年で劇的に変わった西表。
その変遷の様子を知っているからこそ、
現在もこの島を見ておかなくては、と思うのかもしれません。

とりあえず、「昔はこうだった」なんて懐かしそうに語るウザイおばちゃんにならないように、
注意したいと思います。wwwwwww
もう、なってるって……!? _| ̄|.....○

↓上段・祖納ふるさとの森展望台からの眺め。
  下段左・祖納のビーチ。ここで人に会うことも稀です。
  下段中・上原から祖納に向かうと、浦内を過ぎたあたりで、
  ずーーーーっと昔っから水牛が1頭だけ草むらに繋がれています。
  気になっていたので、今回、近寄ってみました。ウザそうな顔をされますた。
  下段左・昨年、今年と激しい台風がやってきて、I荘のヤシもだいぶ折れてしまいました。

2007 島おたく通信 part23 |_ー)ヒキコモリ2日目 2007.11.21
ハイ。今日も天気が悪く、雨が降ったり止んだり。そして強風。

午前中、ほんの少し散歩に出ただけで、あとは宿に引きこもって過ごしました。

ネット見て、ご飯食べて、ネット見て、ご飯食べて、泡盛飲んで……という一日。

散歩は上原まで。一昨年、昨年とミサンガを買った「neene」という店で、
またまたミサンガ買ってみました。
お店の人にその話をすると、とても喜んでくれました。
ここ、かわいいポストカードもいろいろあるので、おすすめです。
昨年までは西部ストアの中にありましたが、
今年からスーパー川満の並びに引っ越しました。
内地から来た奥さんがいつも不機嫌そうに店番をしていた西部ストアは、
商店の営業をやめていました。

あ、そうそう。I荘のマークは今年6月に死んでしまったそうです。。・゚・(ノД`)
何年も足を運んでいると、島の移り変わりもよくわかるし、
この島を訪れる人も、ずいぶん様変わりしたように感じます。

わかる人にしかわからない話でスマソ。

↓ミサンガとポストカードを買ってみました。かわいい手作りの袋に入れてくれました。

2007 島おたく通信 part22 |_ー) ヒキコモリ 2007.11.20
旅立ってから、まだ一度も雨に降られていなかったのに、今日は強風&雨です。(´・ω・`)

なので、今日は一日中、宿に引きこもっていました。

一昨年の今日、西表はこんな感じでした。
下の写真と見比べてください。一緒やん!

昨年西表に来たのは10月で、そのときは晴天続き。
やっぱ10月に来るほうがいいのかなぁ。。。

I荘は今年から誰でも自由にネットに繋げるようになっていて、
わたしは終日、ずっと、ずっと、ずーーーと、PCに向かっていました。
BGMに母さんおすすめのDef Techをかけながら。

お昼は母さんが昨日の鍋の残りの具でお雑煮を作ってくれました。
おいしかったです。

夕方、3人ほどお客さんがきました。
なぜか全員五分刈りなんだけど、巷ではボウズが流行ってるのでしょうか……?

↓上・強風にあおられるヤシの木。下・母さんが作ってくれたお雑煮。餅投入前。

2007 島おたく通信 part21 西表へ! 2007.11.19
今年の島旅も、終盤です。

旅を締めくくるべく向かうのは、毎年必ず行っている西表。
なんか、ここに行かなきゃ旅が終わらないのです。
毎年同じことをブログに書いているかもしれませんが、
島を巡りはじめた'92年の秋、この島での出来事はすべてが楽しくて、
夢のように時間が過ぎていきました。

もうあの時間に戻れないことはわかっているけれど、
この島には、わたしが探している何かがあるような気がしてならないのです。

福岡を飛び立ち、那覇経由で石垣へ。
そして、今年、新しくなった離島桟橋から西表へ。
悪天候のため上原航路は欠航。大原からバスに乗り継いでI荘に向かいました。

年に1回、16回目のI荘。
驚いたことに、いまヘルパーさんが誰もいない!
母さん1人だったんです。

お客も、わたしのほか、仕事で滞在している男性2人だけ。

こんなに人が少ないの初めてだ。。。

「夕食は作れないので近くの飲食店まで送迎する」と言われていたのですが、
「ありあわせのものでよければ一緒に食べようか」ということで、
母さんとわたしと、ポイント的に手伝いに来ていた浦内に住んでいる女の子と、
3人で鍋をつつきました。

一昨年30周年を迎えたI荘。
母さんは、沖縄復帰の翌年に沖縄や与論を旅して回ったときの話や、
西表に宿を開くまでの話をいろいろしてくれました。

この宿は15年前と少しも変わらない居心地のよさでわたしを迎えてくれます。
ここで会った人のなかには、東京に戻ってからも仲よくしている人が何人かいて、
飲みにいったり、スキーに行ったりしています。

今回は本当に人が少ないみたいなので、一人でぼーっとする滞在になりそうです。

↓石垣港の新ターミナル。以前は各船会社の中に待合所がありましたが、
  すべてターミナルに集約されました。シーズンオフなので閑散としています。
  |_ー) サビシス...

2007 島おたく通信 part20 ((((;゚Д゚)))ガクガクガクブルブルブル in 姫島 2007.11.18
九州に来てからというもの、まだ一度も雨に降られていない。(・∀・)スバラスィーーー!
そして、概して海も穏やか。ヽ(´ー`)ノワーイ
でも、今日は時化と寒さで死にそうだった。_| ̄|○

すでに3週間余りが経過した今回の旅。
そろそろ締めくくりモードに入らなくては、というワケで、
今日の姫島を九州最後の島と決め、沖縄に向かうことにした。
福岡県で唯一、行ったことのなかった島である。

この日は風が強く、海も時化ていて「玄界灘は男の漁場だぜーー」な雰囲気。
岐志という港から姫島までは16分の航海だが、
窓ガラスは間断なく波に洗われていた。
いままでずーっと暖かかったのに、今日からいきなり気温も下がり、真冬モードに。

サムー((;゚Д゚)ガクガクブルブル

この島は漁業で生計を立てていると思われる小さな島で、
港には魚の出荷作業をするための小屋がいくつも並んでいる。
意外なことに子供が多く、20人くらいの子供を島で見かけた。

島のおもだった道は1時間もあればすべて周れてしまうが、
最後の船までは5時間あったので、
円錐形のこの島の頂上まで登ってみることにした。

登山道はわりと最近、草刈りされた痕跡があり、山頂からの展望もまずまずだった。

昼頃までは曇天で風が強く、波も高かったが、
だんだん天気は快方に向かい、青空が広がってきた。

それでも気温は上がらない。
第一わたしは、10月下旬ころの服装しか持ってきていない。
風は弱まったけれど、依然として寒いことに変わりはない。

歯をカチカチいわせながら17時の船を待ち、特になんの感慨も持たぬまま、
わたしは姫島を離れた。

西日本といえども、17時過ぎにはすっかり暗くなる。
そこからさらなる試練が始まった。
暗い夜道で、30分後のバスを待たなければならないのだ。
これが思い切り辺鄙な場所のバス停だったら、誰かしらクルマで拾ってくれるだろうが、
福岡のリゾート地なので、クルマはみんな素通りである。

カチカチ ガチガチ (((( ;゚д゚)))ワワワワワ ((((;゚Д゚)))ガクガクガクブルブルブル

もう、やだー! ヽ(`Д´)ノ

と思ったころにバスが来た。乗客は乗ってから降りるまでわたし一人。
筑前前原駅まで出て地下鉄直通のJRに乗り、宿のある中洲川端に向かった。

で、夜は、九州で遊ぶときはこの人。エロちゃんを呼び出して大名で飲んだ。
(エロちゃんは新しくできたというオサレなダイニングバーを予約していた。
さすがAB型! 芸が細かい)

ガッツリ飲み、ガッツリ食い、九州最後の夜を締めくくりましたとさ。

↓左・昼頃の姫島。男の漁場な感じです。
  右上段・鎮山登山道の途中から見る九州本土。
  右下段・ヤセの大食いエロちゃんとデブの大食いのあたしでガッツリ♪

2007 島おたく通信 part19 宝くじの島 2007.11.17
今日は日帰りで唐津市の高島を訪ねた。

高島という名前の島、今回の旅では佐世保市の高島、平戸市の高島に引き続き、3島目。
「たかしま」となると鷹島も入るので、4島目となる。

でも、ここはダントツで観光客の多い島。
人口400人くらいの島に、年間十数万人もの観光客が訪れるのだという。

彼らのお目当ては、宝当神社(ほうとうじんじゃ)である。

読んで字のごとく、「宝を当てる神社」。
ここにお参りすると宝くじが当たるという噂が数年前から流れはじめ、
実際、神社の中には「3億円当たりました」「1億円当たりました」「5000万円当たりました」などという
お礼の手紙が壁一面に貼られているのである。(´Д`;)

そして、島の中にある宝くじ売場(用意がいい!)では、
はるばるツアーでここを訪れたと思われる関西弁のおっちゃん、おばちゃんたちが
狂ったようにロト6のマークシートを塗りつぶしていたのであった。( ゚Д゚)ポカーン

みやげ物店も激しく便乗商法に乗っている。
開運宝当袋(このなかに宝くじを入れておくと運気が上がるという巾着袋)、
金運小判饅頭、宝当の文字が入った金運招き猫などなど、
とにかく金運・開運のオンパレードなんである。

でも考えようによっては、島おこしが見事に上手くいった例なのかもしれないね。

桟橋から宝当神社界隈までは賑やかだが、
島のこのほかのエリアは、静かでのんびりした空気が流れていた。

四国八十八箇所のミニチュア版ともいえる石仏が島のそこここに佇み、
集落の背後にそびえる山にはマテバシイの森が広がっていた。

わたしは展望を期待して登山道を山頂付近まで登ってみたのだが、
木や草が生い茂り、ほとんどなにも見えなかった。

滞在約5時間。ツアー客でごった返す船に乗って、わたしは高島をあとにした。

↓上段左・この島、真横から見ると『星の王子様』に出てくる
  「ゾウを呑み込んだウワバミ」みたいな形をしている。
  上段右・島のあちこちに石仏が佇む。
  中段左&右・ここが宝当神社です。壁にはお礼の手紙がいっぱい。
  あたしも帰ったら宝くじ買ってみるかな。w
  下段左・こういうB級芸能人の写真がうやうやしく飾ってあるのも笑える。
  下段右・島内に宝くじ売場も完備!

2007 島おたく通信 part18 唐津の西北、向島 2007.11.16
今日、9時50分のフェリーで鷹島をあとにした。
Y乃やの女将からは、「おみやげにどうぞ」と真空パックのスルメイカをいただいた。
ありがとうございます。
ご主人からは全国離島振興協議会に入会しないかと誘われた。

(´Д`;)……。

鷹島には船唐津、殿ノ浦、日比、阿翁浦という4つの港があるのだが、
今日の日比港が九州本土にもっとも近く、
約10分で佐賀県唐津市肥前町の星賀港に到着する。

星賀港に着くと、そこは佐賀ナンバーの世界。
いままで佐世保ナンバーだらけだったので、ようやく長崎を出た実感が湧く。

向島への船は、ここ星賀港から出る。
プレジャーボートのような14人乗りの船が、1日2往復、運航されている。
人口70人ほどの小さな島だ。

11時に星賀を出て約15分で到着、向島発は16時。
「その間、どうやって過ごすんですか? 時間もてあますでしょ」と、
港で会った人に言われたけれど、
宿に断られなければ、この島に2泊する予定だったわたし。
ぼーっとしていればあっという間に時間は過ぎていくものだ。

島の舗装路をすべて踏破し、昼メシに持参したパンを食べてぼーっとしていたら、
案の定、あっという間に5時間が経った。

帰りの船に乗ると、島の人らしくない男性が4人ほど乗っていた。
うち1人は行きの船でも一緒だったが、
あとの3人は行きの船では見かけなかった。

ということは、昨日この島に滞在しているはずなのだが、
民宿には「ほかにお客がいないから一人客では採算がとれない」と言って
宿泊を断られているので、
民宿には泊まっていないはずだ。

どういう人たちなんだろう?

船が星賀に着き、わたしが唐津行きのバス停に並ぶと、
その中の一人(元フジテレビの山中アナ似)から声をかけられた。

「唐津行くのでしたらお送りしますよ」

おおっ! 渡りに船だ。
経験上、島で会った人に悪い人はいないし、悪そうな人には見えなかったので、
わたしはありがたくその人のクルマに乗せてもらうことにした。

駐車場まで、4人の男性と話しながら歩いたが、彼らは向島小中学校の先生たちだった。
普段は島の教員住宅に住んでいるが、
皆、唐津に家があって、週末は帰っているのだという。
そうか、今日は金曜日だ。なるほどねーと、納得。

向島小中学校は、生徒が3人(中学生2人、小学生1人)。
先生は9人いるそうだ。

山中アナ似のランクルに乗せてもらって、いろいろ話しながら唐津に向かう。
偶然にも、彼はわたしの大学の先輩(もしかしたら後輩?)だった。
(さすが、石を投げれば誰かに当たるマンモス校!)
もともとは県で教員の人事を担当する部署にいたが、
離島教育の現場を一度は見ておかなくては、ということで、
希望して向島に来たのだという。

「離島の教育はどうあるべきか!」なーんて堅い話をしたり、
(向島中学校を卒業した生徒は、内地の高校になじめず、中退する子が多いのだという)
「なんで島を周ってるんですか?」なーんてお約束の質問に答えたりしているうちに、唐津着。
宿まで送ってもらいますた。感謝、感謝。

夜は、7時ともなれば真っ暗になってしまう、この田舎の小さな街を徘徊する。
この街に来るのは十数年ぶり。
でも、前に来たときの記憶は、
バイパス沿いの鉄板焼屋でステーキとロブスターを食べたことくらいしかない。
(義理パパのおごりで)

人がいない。|_ー) サビシィ
でも、城下町の風情にあふれた、きれいな街だと思った。

明日は同じ唐津市内の高島を周ります。

↓向島の港付近。集落はここ一か所。空家がかなり目立ちました。

2007 島おたく通信 part17 ぎゃーーーーー! 2007.11.15
ぎゃーーーーーーーー!!!

7月の北海道に引き続き、
実は、また落っこちました。路肩に。。。。 _| ̄|.......○

鷹島は結構大きな島で、当然クルマがあったほうが効率的に回れます。
当初はレンタカーをフェリーに積んでゆくことも考えたのですが、
実際に島に渡ると、案外どうにかなることが多いんです。

今日は宿のクルマを貸してもらえることになって(もちろんタダで)、
1日中、島をぐるぐる回っていました。

クルマは四駆のRV(ワゴンタイプ)で、
最近、軽しか運転していないわたしには、ちょっと大きく感じられました。

……その事件は、夕方起きました。

ディテールは省略しますが、早い話が、
車幅ギリギリの細い急カーブを曲がったら、畑に突き当たってしまい、
バックで戻ろうとして左前輪を落としちゃったのでした。
(実は草むらからちょっと見えていた畑を転回場所だと勘違いして、
そこでUターンしようと、細い道を無理に進んでしまったのでした)

そろそろヤバイぞ、切り返すか? と思ったとたん、

ガコッ!

ぎゃああああ〜! 借り物のクルマがぁあああーーーーー!

でも、不幸中の幸いとはこのことで、
すぐ近くで工事が行われており、工事のおじさんたちに助けを求めることができました。

わたし「すみませーん。クルマが路肩に落ちちゃったんですぅ〜・゚・(ノД`)」
おじさんたち「どれどれ。あー、こりゃ人間の力じゃ無理だろう。
鷹島にクルマ置いて帰るしかないなぁ」
わたし「ひぇぇえええええーーーーーーー」

レンタカーならまだしも、宿から借りてるクルマだよ?
どうする? どうする!?

まぁ、とりあえず持ち上げてみるべ、ということで、おじさん数名がヨイショ、と。
すると2回目のトライアルで、見事! クルマが路肩から脱出できたのでした。
はぁー。ヨカターヨ・゚・(ノД`)・゚・

一応クルマをチェックしてみましたが、
底を打ってもいないし傷もなく、走行にも問題はなかったので、
そのまま返してしまいました。

このことはひとつ、ご内密に。。。。

一応、クルマを借りたお礼と罪滅ぼしの気持ちを込めて、
ガソリンは満タンで返しました。(といっても18リットルしか入らなかったけど)
ガソリンスタンドでもらった生卵1パックも宿に渡しました。
そして、工事のおじさんたちには缶ビールを買って、現場に差し入れました。

いやー、それにしても焦った、焦った。(´Д`;)

さて、今日で3泊目となる鷹島の宿「Y乃や」ですが、
今日のお客はわたし一人ということで、サービスで鷹島特産のとらふぐを出してくれました。
ふぐ刺し、ふぐちり、ふぐの唐揚げ、そのほかにも豚の角煮などおかずいろいろ。

あざーっす!

鷹島は人口2000人くらいの島ですが、
宿が4つしかなく、うち一つはモンゴル村というテーマパークの中にあるゲルです。
ほかの3つのなかで一番のおすすめといわれているのが「Y乃や」なのですが、
インフラが古く、トイレも洗面所も共同という、ほとんど民宿みたいなところです。
女将は、最初はとっつきにくそうなイメージでしたが、
「どこでも送迎しますよ」とか「クルマも自由に使っていただいていいですよ」とか、
また、夕食にふぐを出してくれたり、モンゴル村の温泉の入場券(500円)をくれたりと、
すごく親切に対応してくれました。

平成21年の春には九州本土と橋で繋がる鷹島。
人口は減り続け、モンゴル村は営業すればするだけ赤字がかさみ、
明るい話題の乏しいこの島に、橋はどんな福音をもたらすのか。

1年半後の架橋は、この島にとって、元寇以来700余年ぶりの大事件となりそうです。

↓左・モンゴル村の温泉、草原の湯。
  モンゴル村は、元寇で戦ったモンゴルと末永く友好関係を築きたいとの趣旨で
  造られたテーマパーク。とにかく人がいない。温泉もわたし一人で貸し切り。
  右・ふぐ刺しです。ふぐは養殖ですが、(゚Д゚ )ウマー

2007 島おたく通信 part16 元寇の島、炭鉱の島。 2007.11.14
昨日に引き続き、今日も小春日和。
暖かく、風もなく、海はベタ凪である。

昨日黒島を出たわたしは、鷹島に泊まった。
鷹島は周囲43kmの、かなりデカい島だ。
元寇の激戦地となったところで、
弘安の役では両軍合わせて十数万人の戦死者が出たという。

このあたりの海底には、いまも元寇の遺物が眠っていて、
定期的に引き上げ作業が行われている。
市立の歴史民俗資料館を訪ねたら、受付のおばさん(学芸員さん?)が、
隣接する埋蔵文化財センターの中を丁寧に案内してくれた。

海底から引き上げられた元船の一部や碇は、塩分を抜き、
プロピレングリコールで処理されてから展示されるという。
おばさんはお金もかかるし時間もかかるし大変な作業だと言っていた。

その後しばらく鷹島を歩き回り、午後、飛島に向かうフェリーに乗った。

飛島はかつて炭鉱のあった島で、
昭和35年には周囲5.9kmの島に2000人以上が住んでいた。
現在は60人くらいではないかと、島のおじさん。
「20年後には無人島だよ」と、おじさんは吐き捨てるように言った。

「せっかくだからお茶でも飲んでいけ」と言われ、おじさんちにお邪魔する。
おばさんは、ひじきの煮物やらミカンやら煎餅を出してくれて、
おみやげにと、シラス干しを山盛りくれた。
わたしにできることといえば、
おばさんのマシンガントークの標的になることぐらいだったので、
自慢系の話を楽しそうに聞いてあげた。

おじさんは「車海老漁に連れて行ってあげる」と言ってくれたのだが、
今日も泊まりは鷹島だったので、フェリーのある時間に帰らなくてはいけない。

「だったら(わたしの宿がある鷹島の)阿翁浦まで船で送るよ」とおじさんが言うと、
おばさんがびっくりしたように「ええっ!?」と言ったので遠慮した。
(飛島〜阿翁浦はかなりの距離で、燃料費もバカにならないはずだ)

そんな破格の申し入れをわたしが断ったせいか、
おばさんのリアクションが気に入らなかったのか、
おじさんは少々不機嫌になったように見えた。

この島に着いたのが12:48。
当初は17:05のフェリーで鷹島に戻る予定だったが、
すでに島内を周り終えていたので、15:31のフェリーに乗ることにした。

3時間弱の滞在で見たものは、
炭鉱の遺構、崩れかけた炭鉱住宅、更地になった分校跡、老夫婦の住む散らかった家……。
これから先の島の姿が想像できぬまま、
ちょっぴり重たい気分になって、わたしは飛島を離れた。

↓上段左&中・埋蔵文化財センターで脱塩処理をしている文化財。元の船の一部だそうだ。
  上段右・平成21年3月の完成を目指し、鷹島と佐賀県唐津市肥前町との間に架橋工事が進行中。
  下段左から、かつて石炭を搬出したと思われる崩れかけた桟橋、炭鉱の遺構、
  崩れた炭鉱住宅の壁に残っていたレトロなカレンダー。閉山は昭和44年だという。
  下段右の上・炭鉱住宅にはまだ住んでいる人がいる。下・飛島全景。
  ちなみに飛島は庄司姓が多く、品川庄司の庄司のおじいちゃんもこの島の出身なんだって。

2007 島おたく通信 part15 青島から2つめの黒島へ 2007.11.13
毎日、毎日、書ききれないほど多くの出来事があって、
しかも一日たっぷり動いてどっぷり疲れているので、
ブログをつけるのがすっかり面倒くさくなってしまった今日このごろ。。。

でも今日も頑張ろう! (`・ω・´)

今朝、民宿のおばちゃんと娘さんに見送られて、青島をあとにした。
残念ながら、昨日頑張って獲ったアサリは、朝食には出なかった。(´・ω・`)

青島を出たフェリーは鷹島の船唐津港を経由して黒島に着いた。
(このあたり、黒島と高島という名の島が多い。先々週訪ねた黒島とは別の島)

黒島には宿がない。
次のフェリーまで滞在時間は4時間。それでも時間をもて余すくらいの小さな島だ。
青島で聞いた話では「年寄りばかりの島」。
「一番若くても50代では」という話だったが、30代〜40代くらいの人もチラホラ見かけた。
相変わらず、あたしは怪しさ全開。島の人の視線が痛いぜ。

青島が港を中心に広がっている集落だったのに対して、黒島の家は台地の上にある。
台地の上には椿の林と畑と水田が広がっている。

特にこれといった見どころがない島なので、わたしはまず学校に向かった。
手もとの資料によると、鷹島小学校黒島分校は平成13年度から休校中とある。

校舎の周りは雑草が伸び放題。扉にもツタがからまって、
休校(廃校ではない)とはいっても、もう2度と再開はないと確信した。

扉に手をかけてみたら、なんと開いた。

蜘蛛の巣が張り、埃が積もった玄関。
昭和40年代から50年代の表彰状や、生徒たちの絵が飾られていた。
絵を描いた生徒たちは、いまどこにいるのだろう?
母校のことを想う日もあるのだろうか?

どこの島でもそうであるように、
好奇心の強い島人は、わたしに「どこから来たか」と聞いてくる。
島をほぼ回り終えたわたしは、
そう聞いてきたおっさん&じいちゃんとひとしきり立ち話をし、
港のフェリー待合所で船が着くまでぼーっとして過ごした。

黒島は、ひっそりと、静かに呼吸しているような島だった。

↓上段左・休校中の小学校の玄関。中・玄関に飾られた表彰状と絵。右・職員室。
  ここから先に入る気にはなれなかった。
  下段・フェリーたかしま2から見た黒島全景。集落は台地の上にある。

2007 島おたく通信 part14 青島で潮干狩り 2007.11.12
昨日の夕方、平戸を出て青島に渡った。

青島は長崎県松浦市に属する人口200名ほどの島。
実はもっと鄙びた、ひっそりした島かと思っていたら、
明るくオープンな雰囲気の島だった。

この島には民宿が1軒。そこに客はわたし1人。
島を歩いていると、みんなギョッとしたような表情でわたしを見る。
昼、民宿に併設された食堂にいったら、
客として来ていた島の人に「いやー、目立ってるよ」といわれた。
またしても「外人かと思った」と。
どうやらサングラスをかけていると、それっぽく見えるらしい。

午前中に島の大部分を歩き、
午後からは宿のおばさんがアサリ獲りに行くというので、
一緒についていく。

小学校低学年以来の潮干狩り。
おばちゃんから草刈りガマのようなものを渡され、
磯の隙間の砂地をホリホリする。

明日の味噌汁♪ 明日の味噌汁♪
などと心の中で繰り返し、アサリをひとつ、またひとつ。
30〜40分掘って、ようやくバスケットの底が隠れるくらいのアサリを獲ったが、
同じ時間でおばさんはわたしの3倍くらいのアサリを獲っていた。

こんなことでは、アサリ獲り2級への道は遠いぞ。。。(´Д`;) ←そんなものはありません。

民宿はきれいでなかなか居心地がよかった。
小さな島なので1泊でもよかったかな、と思ったのだが、やはり2泊して正解。

明日は黒島に渡ります。

↓上段・青島の港。
 下段左・宝の浜海水浴場。海の色がきれいです。
 下段中・ただいまアサリ獲り中。下段右・平戸島の向こうに夕陽が落ちていきました。

2007 島おたく通信 part13 平戸牛(゚Д゚ )ウマー 2007.11.11
今日の話題は、誰がなんといおうと平戸牛である。

今日は夕方のバスで御厨港に行き、青島に渡る。
バスは16:10平戸桟橋発なので、
それまでは平戸中心部の名所・旧跡の類を歩いて回ることにしていた。

レンタカーを借りるとき、店のおばちゃんに教えてもらったおすすめのランチの店は、焼肉「鈴」。
「石焼ビビンバがおいしいのよ」とおばちゃんは言っていた。

「平戸で石焼ビビンバかぁ」と思っていたら、その店の看板は平戸和牛。
じゃあ両方いっちゃえ、ということで、石焼カルビビビンバをオーダーした。

これがですねぇ、

めちゃめちゃ(゚Д゚ )ウマー

ヤヴァイっすよ。いや、マジで。
肉、めちゃめちゃうまいって。
ビビンバ自体は、まぁ普通にうまかったけど、肉は自分史上ベスト3に入るうまさ。
平戸行ったら、絶対食べておくべし!

↓左・平戸といえばこのカット。寺院と教会が両方見える風景。
  右・大きな肉ごろごろの石焼カルビビビンバ。単品1250円。+350円でサラダやコーヒーのつくセットに。

2007 島おたく通信 part12 平戸&生月ドライブ 2007.11.10
平戸ではレンタカーを借りているので、
一昨日、平戸から宮の浦に向かうときも、
昨日、宮の浦から平戸に戻るときも、
平戸島と生月島のビューポイントをいろいろ見て回った。
さらに今日も一日、平戸と生月のドライブに充てる。

平戸は島ではあるが、九州本土と架橋されているため、
福岡あたりからドライブに来る人が多い。平戸と架橋された生月もしかり。
ブーツにマフラーなんて格好をしている女の子と
おしゃれなジャケットをはおった男の子の横で、
あたい、裸足にビーサン、ジャージですが、なにか?
そういや度島でも「東京の人には見えない」「島の子みたい」と言われたなぁ。(´Д`;)

平戸も生月も、隠れキリシタン殉教の島として有名で、
島のあちこちに殉教地がある。
斬首、火あぶり、磔刑など、ものすごい数のキリスト教徒の人々が
この地方でむごたらしい死に方をしており、
きれいなビーチの岩にうっかり座ろうものなら、
「ここの岩の上で70余名が首を斬られた」なんて説明が目に飛び込んでくるのである。

あー、いまは平和だ。。。

生月は眺めのいいポイントが点在する島で、東屋も多く、のんびりするにはもってこい。
本当は島の北にある大バエ燈台で夕陽を見たかったのだが、
宿の夕食に間に合わなくなるため、泣く泣く生月をあとにして平戸に戻る。

平戸での宿・I元旅館は、新館に泊まったこともあり、
部屋がきれいで料理がおいしく、おばちゃんも親切と、当たりの宿だった。
(ただ、桟橋のまん前にあるため、
クルマの音や荷役作業の音が早朝からうるさいのが玉にキズ。)

夕食を食べていると、なんかおかしな3人組の客が隣のテーブルにやってきた。

パンチパーマの恰幅のいい大将(62歳)と、
半分白髪のもの静かなおじさんと、
笑顔がかわいい田舎のヤンチャな高校球児みたいな坊主(20歳そこそこに見えた)。

彼らは山中に不法投棄されているクルマを見つけては回収し、
スクラップにして中国に売っているのだという(うさん臭さ全開!)。

「おう、なにごともチームワークが大切やけん」 by 大将

「もう会うこともなかろうが、袖振り合うも他生の縁というからな」と、
大将がビールと焼酎をごちそうしてくれた。
「つまみも食え」といわれたけれど、おなかいっぱいで食べらんなかった。

「大島には不法投棄のクルマはなかったか?」と聞かれ、
「見た記憶がない」と答えると、「情報はあるんやけどな」と大将。
「でも、不法投棄のクルマ回収すると、島がきれいになっていいよね」と、わたしが言うと、
「世のため、人のためになる仕事やけん」と、大将は上機嫌になった。

夕食のあとは温泉に行こうかと思っていたけれど、
おなかイパーイで眠くなってしまったので、そのまま宿の風呂に入って寝た。

ちょっと運転疲れが出たようだ。
7月に北海道で路肩に落ちて以来、運転が慎重になった。
いいことだ。

↓生月島の大バエ燈台を遠望する。

2007 島おたく通信 part11 高島アドベンチャーツアー 2007.11.9
7時45分ごろ、わたしは民宿の隣の船宿に行き、遊漁船に乗り込んだ。
わたしともう一人の釣り客を乗せて、船は高島に出発した。

釣り客は高島の断崖下の磯に降り、わたしはそのまま船で島を半周して港に降りた。
途中、船長が尾上島(御神島と書くときもある)の近くを回ってくれた。
海上から屹立したこの無人島には燈台があり、
昭和41年に日本で初めて、そして当時は世界最大規模であった
太陽光発電装置が備えられたという。
何年か前に、ここでシャープのCMの撮影が行われたそうだ。

高島は、6戸、30人弱が住むとても小さな島。
端から端まで500mくらいの集落に固まって人が住んでいる。

のちほど登場するM永さんのおじいちゃんによると、
昭和40年ころまで、島は半農半漁で、島中に畑があったのだが、
農作物の価格が下がったため、みな農業をやめて漁業一本になったのだとか。
島の端には第2次世界大戦中の砲台の跡があり、
かつては350人もの海兵がこの島に駐留していたこと、
尾上島の燈台に燈台守がいたころは、島の真ん中あたりに官舎があって、
いまは廃墟になっていることなどもおじいちゃんが教えてくれた。

8時すぎに島に上陸し、目に入る道という道を歩き回り、
昨年4月から休校中の学校(野子小中学校高島分校)をのぞいたり、
神社で手を合わせたりしたら、約1時間が過ぎた。
迎えの船は11時に頼んだのだが、まだ2時間ある。
この2時間、なにをしようか。
こんなわたしを、島の人たちは訝しげに見ていた。

港の隅に座って、お約束のハガキを書き始めたところ
(わたしはすべての島で自宅宛てのハガキを書いて投函している)、
「こんにちは〜」と声をかけられた。

わたしは「このあたりの島を巡ってまして、今日は高島を歩かせてもらってますー」と挨拶した。
しばしその女性、M永さんのお嫁さんと立ち話をしていたら、
今度はおばあちゃんが出てきて「せっかくだからおじいちゃんと砲台跡にでも行ってきたら」と。
おじいちゃんは「船外機の小さな船でよければ出してやるよ」と。

え、いいんすか!? ヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノワーイ!!

昨年、長崎からきた30代男性2人組が、どうしても砲台跡に行きたいといったので案内した、
と、おじいちゃん。
すでに砲台への陸路は消えているので、その下に船をつけて、道なき道をゆくのだという。

「あなたも一緒に行ってきたら」と、おばあちゃんはお嫁さんを促し、
3人で砲台跡に向かうことになった。

3人で船に乗り込むと、お嫁さんが「今日は凪てるから、尾上にも着けられるのでは」とまたまたナイスな提案。
船を、さきほど海上から眺めたあの険しい小島の下に着けてもらい、
わたしとお嫁さんは細くて急なコンクリートの石段を登りはじめた。

燈台前からの眺めは、いやー、絶景っす!!!
まじ、すげぇ。眼下に高島、反対側に五島、360度のスーパービュー!
連れて来てもらって本当によかったー。(・∀・)

続いて、船は砲台下へ。
おじいちゃんを先頭に大きな岩を乗り越え
(どうしてそんなにヒョイヒョイ軽々と歩けるんでしょうか、おじいちゃん。
さすが漁師、運動神経よすぎます! あたしは何度も泣きが入った)
潅木が茂る崖を登り、ときに匍匐前進しながら砲台を目指した。

この島に嫁いで10年になるお嫁さんも、砲台に来るのは初めてだそうだ。
コンクリートとレンガの破片が飛び散った4階建ての建物。
わたしたちは屋上に上がり、海上を通る釣り船に手を振った。
なんかちょっと得意気な気分だった。

集落に戻ると、ちょうど11時前。
お嫁さんが麦茶を入れてくれる。
そして迎えの釣り船を、おじいちゃんとお嫁さんが港で一緒に待ってくれた。
一介の旅行者に、なんでこんなに親切にしてくれるんだろ。
今日は本当に貴重な体験ができた。感謝、感謝。

「夏はいいよー。今度は夏に来たらいいよ。
電話をくれたら宮の浦まで迎えに行ってあげるよ」とおじいちゃん。

あぁまた、戻りたい島が増えてしまった。

↓上段・燈台がポツンと立つ尾上島。
  中段左・尾上島には急なコンクリートの道が続いている。
  中段中&右・海から見る砲台跡と内部。下段・尾上燈台から見る高島。

2007 島おたく通信 part10 度島から宮の浦へ 2007.11.8
今日8:55の船で、わたしは度島を出ることにした。

桟橋に出ると、K子さんが見送りに来てくれた。
しばし、K子さんと話す。

島に一周道路ができたという話になって、「歩きました?」と聞かれ、
「何時間も歩いたけど、島の裏側の道はクルマが1台しか通らなかった」と答えたわたし。
「そうなんですよね。わたしはときどき島の裏側に行くんです。一人になりたいときは」と、K子さん。

そうだよね。小さな島って、常に誰かに見られている生活だもん。
たまには一人になりたいときもあるだろうな。
島の生活のことを思い切りグチりたいときも、周りは島の人ばかりだし。

でも、K子さんにはかわいいbabyがいるし、
ダンナのマーちゃんはK子さんをとても大事にしているように見えた。
だから、覚悟を決めて嫁いできたのだろう。

K子さん「これからどちらに?」
わたし「長崎の島をいろいろ回ってから西表行くんです」
K子さん「また行きたいなぁ、西表。新婚旅行行ってないから行こうかな」
わたし「ぜひぜひ。そしたらわたしは(常宿の)いるもて荘からみどり荘に遠征するよ」

船が着いた。
「元気でね」といってわたしたちは別れた。
またひとつ、戻らねばと思う島が増えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

フェリー度島は無事平戸桟橋に着岸し、
わたしは明日の高島行きに備えて平戸島南西端の宮の浦に移動した。
平戸屈指の漁港だけあって、民宿の食事は豪華だった。
なかでもウチワエビは絶品。
お造りとボイルが出たのだが、(゚Д゚ )ウマー(゚Д゚ )ウマーと言って食べていたら、
もう一人のお客さん(志布志から漁網の販売に来ているおっちゃん)から
「おれの分もあげる」といわれた。あざーっす。

高島は宮の浦から船で5分くらいの島だが、定期船の運賃はなんと片道2000円!
このあたりは釣りのメッカで、瀬渡しと同じ金額に設定されているのだ。
(ちなみに定期船は通学用のスクールボートで、生徒たちはこの金額ではない)。
しかも、早朝と夕方に各1便があるのみ。
なので、わたしは宿の隣の釣り船屋に行って、同じ金額で瀬渡しを頼んだ。
でも、これは失敗。
夕食のとき、漁網屋のおっちゃんが言った。
「漁網を高島から取りに来るお客さんがいるから、乗せていくよう頼んであげたのに」
うっ! それを知っていたら2000円浮いたのに。。。
おっちゃん曰く「島を旅するときは、前日の宿で情報を仕入れてから行かなきゃ」

そうなんですよ。ごもっとも。
過去の経験からそれはよーくわかっていたんだけど、
なんか今回の旅はせわしなくて、バタバタ予約をいれてスケジュールを組んじゃってる。
すでに旅立ってから2週間が経つのに、どうも落ち着かない。

いかんなぁ。もっとゆとりをもって旅をしなくちゃね。

↓平戸でレンタカーを借りて、宮の浦まで観光スポットを巡りながら行った。
  絶景ポイント・川内峠ではススキと空のコントラストがとてもきれいだった。

2007 島おたく通信 part9 度島にて 2007.11.7
今日は度島のほぼ全域を歩いて回った。

夕方宿に戻ると、宿の奥さんが「ちょうどいいところに戻ってきた」と。
奥さん「いまから夕陽を見に行きましょうか。見せてあげなきゃと思ってたんですよ」
(ホントは奥さんの言葉はすべて度島弁なのだが、再現できず)
わたし「夕食のしたくはいいんですか?」
奥さん「大丈夫。急いで行きましょか。日の落ちるのは早いけん」

そして奥さんが「島の高速道路」と呼ぶ農道を走り、島の西側へ。
道路端に二人で並んで座る。

「はい、コーヒー」
奥さんが缶コーヒーを渡してくれた。
「わたし、海に落ちる夕日を見るのがすごく好きやけん」

厳密にいうと、度島の夕陽は海に沈まない。
生月島の向こうに沈む。
まんまるの夕陽が島影に落ちてゆく。

奥さん「きれいかねぇ」
わたし「見れてよかったー(・∀・)」

夕陽の最後の閃光が島の向こうに消えるまで、
わたしたちはじーっと西の空を見ていた。

宿へ戻る途中、奥さんはイタビの実の話をした。
「わたしが子供のころはお菓子とかなくてですね、
学校の帰り道にイタビの実をとって食べよったですよ。
イチジクみたいな味でね。イタビないかなぁ」

そして民家の生け垣に食べ頃に熟れたイタビを見つけ、
生け垣をよじ登ってとってくれた。

奥さんは47、8歳と聞いたが、少女のような雰囲気のある人だ。
度島生まれ、度島育ち。生け垣を軽々とよじ登って実をとるところなんて、
無邪気な自然児がそのまま大人になった感じ。

いつでもお菓子が手に入る子供。
お菓子の代わりに植物の実を摘んで食べる子供。
ホントに豊かなのはどっちなんだろう、と思った。

夕陽ツアーに出たぶん、遅くなった夕食を食べていると、
「あんまり若くないお兄さんたちが一緒にご飯食べたいって言ってるけど、どうする?」と奥さん。

聞けば、この日は集落の消防団の訓練があって、
宿の中庭で打ち上げのBBQをやっているとのこと。

せっかくなので、タダ酒&タダ肉をいただきに参上。
島のおっちゃん(もとい、お兄さん)たちと、楽しく飲んだ。
(言葉は半分くらいしかわかんなかったけど)

そして、その中の一人でイカ釣り(こっちの言葉でイカしゃくり)漁師をやっているマーちゃんの奥さんが、
島好きでカメ博士だという。
わたしと話が合うかもしれないから呼んできたら、ということで、K子さんがやってきた。

話をしてびっくり。
K子さんは、わたしが泊まったことのある西表のYH・みどり荘でヘルパーをしていたのだそうだ。
いまも何人か知り合いが西表に住んでいるとのこと。
わたしがこれから西表に行くといったら、心の底から「西表いいなぁ」と言っていた。

K子さん(年は30代前半〜半ば?)は、海ガメの生態調査をしていてマーちゃんと知り合い、
伊万里市からこの島に嫁いできた。
ちょっと街の人っぽくて、インテリな雰囲気もあって、YHのヘルパーにいそうなキャラの人である。

「伊万里とここは船で30分くらいの距離なんだけど、こんなに遠いとは思わなかった」

いろんな話の最後に、K子さんはポソッと言った。

「島の生活って、全然違う。島に嫁ぐって、ホントに覚悟がいることなんですよ」

かわいいbabyを抱きしめながらも、彼女の言葉には実感がこもっていた。

わたしたちがふたりで話している間、宿の奥さんとほかのおっちゃん(もとい、お兄さん)たちは、
賑やかにしゃべり、笑っていた。
わたしは旅行者だから島のおっちゃんたちも珍しがってチヤホヤしてくれるけど、
島言葉で盛り上がる人の輪のなかに、ヨソものはなかなか入っていけないだろうな、と感じた。

でも、今日は楽しかった。
隣のおっちゃん(もとい、お兄さん)が「絶対また度島に来いよ」って言ってくれたし。
島の人とこんなふうに飲むと、またこの島に来たくなる。
今度来たときは、イカしゃくりに連れて行ってもらおうと思う。

↓生月島の向こうに大きな太陽が沈んでいった。

2007 島おたく通信 part8 大島から度島へ 2007.11.6
旅に出てから晴天で風のない日が続いていたのだが、ついに時化た。

わたしは3泊した的山大島をあとにして、度島に渡ることにした。
(度島、さてなんと読むでしょう?)

宿のある神浦から船の出る的山まで、
「大島バス」とかかれた10人乗りハイエースに乗る。
料金は100円。据え付けられたザルに入れる。

「キンジさんの娘ね?」

乗っているおばちゃんが聞く。

違います!

「○△※×○(島の言葉で久しぶりと言っているらしい)、まーちゃん」

あとから乗ってきたおじちゃんが言う。

いえ、まーちゃんじゃないです!

この島にはわたしに似ている人が、少なくとも2人はいるらしい。(´Д`;)

現在、大島と平戸を結ぶ第二フェリー大島はドック入りしているため、
往路と同様、度島航路に就航しているフェリーで平戸に向かう。
しばらくはデッキで遠ざかる大島の眺めを楽しんでいたのだが、
風が強く、体が冷えたので船室に入る。

入港の汽笛が鳴り、降りる仕度をしてデッキに出たわたしは、驚いた。

ここ、どこ?

わたしは、平戸市街にある平戸桟橋から船に乗って大島に渡った。
当然、この船は平戸桟橋に着くものだと思っていたのに、
着岸しようとしている港は、大島よりも鄙びた小さな漁港だった。

「ここから平戸桟橋に行くんですか?」と船員さんに聞いたら、
「いかない」とのこと。

ほかの乗客は平然としてこの港に降りていく。わたしは焦る。

「度島に渡るには平戸桟橋まで行かないといけないんですよね?」と再度聞いたら、

「度島への船もここから出るよ」という。

わたしの手元の資料は、大島便も度島便も平戸桟橋から出航とあるのに。

でも、平戸でもらった大島の資料に小さく1行、こう書いてあるものがあった。

「荒天のため、大島〜薄香で運航することがあります。」

この鄙びた、小さな集落のある漁港が薄香港であることがわかった。

11時30分に薄香に着き、度島行きの船が出るのが14時15分。
3時間近くもここで時間をつぶさなければならない。
どうやって時間を過ごそうか。お昼も食べたいのに、店らしきものは一見してみつからない。

この3時間、わたしは不審者だった。
集落をぶらぶら行ったり来たりしていたのだが、
すれ違う人は皆、わたしのことを不審そうな目で見た。
なんか肩身が狭いけど、ここはフツーの観光客が来るような場所ではないし、
金髪でリュック背負った姿もいい加減怪しかったからしょうがない。

結局、集落のなかにただ1軒見つけた小さな食料品店でバナナロールケーキを買い、
港で食べ、港に面したベンチでぼーっとして過ごした。

度島に渡ってからはまず民宿に向かい、民宿のある飯盛という集落を少し歩き回った。
港の入口に円錐形の小高い山があり、
地図を見るとその山の頂上が島の最高地点だったので、登ってみた。
急な石段を登り詰めた先には、島の神様が静かに鎮座していた。

とりあえず、無事、度島に渡れたことを感謝した。

↓上段・翌日撮影した飯盛山(左の円錐形の山)。
  中段・山の麓に鳥居があったので入っていくと、急な石段が続き、
  山頂に島の神様がいらっしゃいました。
  下段・飯盛山中腹からの眺め。

2007 島おたく通信 part7 風の谷に棚田が広がる島 2007.11.5
今日は宿のおじさんにクルマで島を案内してもらった。
なんだかんだいって2時間くらいたっぷりと回ってくれて、
島のいろいろな話を聞けて楽しかった。
丸顔で、頭ハゲてて、しゃべり方が淡々としていて、なんかいい感じのおじさん。
でも、朝からコロンきついっすよ。w 

たとえばどんな話をしてくれたかというと……

・島の各集落はそれぞれ微妙に言葉が違っている。
・たとえば大根坂(おおねざか)という集落は、
朝鮮半島から渡ってきた人たちが拓いた集落といわれていて、
独自の言葉の使い方がある。
・大根坂の人たちは几帳面で、棚田の手入れが行き届いている。
(実際、集落内に大根坂の標語が貼られていて、
時間厳守、公私の区別をつける、美化に努めるの3つが書かれていた)
・その反面、西宇土という集落は、棚田の手入れがおざなりで、荒れているところが多い。
・いま島はイノシシの被害が深刻で、イノシシは稲を食べたりはしないけれど、
田んぼに入って稲に体をこすりつけたりする。
そうするとその米は臭くて食べられなくなる。
(昨日、わたしは罠にかかったイノシシを捕獲している場面に出くわした)
・かつてはこの島にイノシシはいなくて、昭和60年くらいに初めて発見され、
瞬く間に増えた。海を渡ってきたらしい。
・島には高校があるが、数年後に廃校になることが決まっている。
……などなど。
ちなみに泊まっていた宿は関東屋旅館というのだが、
九州なのになぜ関東? と思っていたら、なんと苗字が関東さんだったのでした。

その後、的山港でわたしはクルマを降り、のんびりと歩いて帰ることにした。
お昼用にパンを買い、昨日も行った平の辻農村公園に向かうと、
1組のファミリーが先にランチを楽しんでいた。
娘さん(わたしと同じくらいの年齢?)は、福岡のデパートに勤めていて、
年末商戦が忙しくなる前に帰省したのだという。
おばちゃん(お母さん)は、関東屋旅館にときどき手伝いに行っているとか。
めちゃくちゃ明るくておもしろい娘さん曰く

「大島はね、誰も襲う人はいないっちゃけん安心やけど、
イノシシだけは襲うからね、気をつけないと」

とのこと。

風力発電機は設置されたのが一昨年ということで、

「久々に帰ったら、島が風の谷みたいになっていてびっくりしたー」

風力発電機はとにかくデカくてよく目立つのだが、なんと1枚の羽の長さが80mもあるそうだ。

そして「大島には3泊の予定で来ている」といったら、「ええー!?」といって笑われた。

おじちゃん(お父さん)が帰りがけにオレンジを1個くれたので、
食後のデザートにして、しばしぼーっとして戻る。
この場所が集落から近ければ、もっと頻繁に立ち寄ったと思うのだが、
5kmくらい離れているのがちょっと残念。

今日もよく歩いた。気づいたら、左足にマメができていた。

↓上段右・大根坂漁港の水揚げ風景。
  昭和50年ごろまでは漁業で生計をたてている家が2軒ほどしかなかったが、
  漁港が整備されて、漁業と農業を兼業する人が増えたという。
  上段中、右・的山港付近の光景。「吉冨」と書かれた家は寿司屋の看板が出ていたが、
  すでに廃屋(物置?)となっていた。
 下段・打出の鼻付近の棚田。このあたりの海はすごくきれい。

2007 島おたく通信 part6 的山大島2日目 2007.11.4
的山大島。玄界灘(西海かな?)に浮かぶ小島だと思ったら大間違い。
意外とデカくて、クルマがないとしんどいです。
一番大きい集落と次に大きい集落を結ぶバスはあるけれど、
ほかに交通手段はなし。
なので、今日は島の東半分を激しく歩き回ってみました。

宿を出てまず向かったのは大賀断崖という風光明媚なスポット。
それから離島センターに寄り、島のさまざまな資料をゲット。
「島の暮らしに興味がある」といったら、
本日休館の「ふるさと資料館」を開けてくれました。ラッキー♪
係のおじさん、ありがとう。てか、かなりアバウトですね。

14時ごろいったん宿に戻り、続けて島の最高地点である平の辻農村公園へ。
ここは360度の眺めが楽しめるおすすめのスポットです。

結局トータルで16kmくらい歩いたでしょうか。
さすがにかなり疲れました。

でも、夕食後は、約2km離れた温泉まで再びウォーキング。
真っ暗ななか、懐中電灯の灯りを頼りに、一人肝試し状態です。

この島は傾斜が急なため、尾根を越える自動車道は九十九折りになっています。
その中をショートカットするように、
徒歩用の細い道や階段が切ってあるのですが、
街灯はほとんどなく、ひたすら真っ暗。
この島、夜の7時を過ぎると、だーれも歩いてません。
昼間、下見をした道なのに、途中で道を間違えて、
気づくとお墓の横にいたり、逆方向に歩いていたり。
あー、怖かった。(´Д`;)
温泉は無色透明だけど、なんだかツルツルした感触で、
なかなかよかったっす。

丸一日歩いて、この島で印象に残ったのは、尾根に連なる風力発電機の眺めでした。
全16基の巨大な風車は、扇風機のような音をたてながら日夜回転しています。
発電機の麓に立つと、その大きさがよくわかります。

そして、棚田。
集落の背後の急斜面に、幾層もの棚田が天に向かって続いています。
島ですが、米は自給できるだけでなく、島外にも出荷されているとのこと。
島のどこを歩いていても、この2つは必ず目に入ってきます。

明日は島の西側半分を歩く予定。
宿のおじさんが、朝1時間くらいクルマで島を案内してくれるというので、
ちょっと楽しみなのでした。

↓上段左・大賀断崖付近。銀色の海とススキ野原。  上段右・風力発電機。デカイ。
  下段左・大賀断崖。崖の上はキャンプ場になっています。
  下段右・関東屋旅館の晩ご飯。豪華です。全然食べきれない。

2007 島おたく通信 part5 的山大島 2007.11.3
魅惑の飽食タウン・佐世保をあとにして、ワタクシ、今日は平戸経由で的山大島に渡ってきました。
BBSで答えてくれた方がいますが、「的山」と書いて「あづち」と読みます。

足を踏み入れた第一印象は、「ニッポンの正しい島」な感じ。
穏やかな海、棚田、細い道に面して軒を連ねる民家、レトロなよろず屋さん……。
天草や瀬戸内海の島にも共通するような、
近海の島のエッセンスがたっぷり詰まったなかなかいい感じの島です。

ただ、思いのほかデカイので、クルマがないと超不便。
今日は神浦(こうのうら)という港の周りをうろちょろしただけで終わってしまいましたが、
明日から体力勝負で歩き回ってきたいと思いまーす。

↓上段・神浦の港はこんな感じ。こういう風景はほかの島でもよく見かけます。
 下段左・神浦の街並み。築100年を超える木造建築が立ち並び、いい雰囲気をかもし出しています。
  下段中・集落の背後には棚田が広がっています。ここだけみると山間の村みたい。
  下段右・お寺の前にいた首輪つきの猫。シカトされますた。。。

2007 島おたく通信 part4 飽食が止まらない(´Д`;) 2007.11.2
今日は足掛け4日滞在していた黒島を出て、隣の高島に渡りました。
高島には宿がないので、最終の船まで4時間半の滞在です。

で、高島に渡って感じたのは、黒島と全然違うっ!
島の雰囲気が驚くほど違うんです。

黒島は、どちらかというと島っぽくない島。
家は密集することなく、起伏のある丘陵の中にポツリポツリと点在するイメージです。
地形がなだらかなので、どこに家があっても生活に不便はないのでしょう。
わたしが泊まった宿のように、まったく海の見えない家も多そうです。

一方高島は、狭い地域に家が密集していて、いわゆる“島”な感じ。
神社や観音堂があって、お墓もお寺にあるような普通の形でした。

黒島には景色を見ながらぼーっとできるような場所がほとんどなかったのに対し、
高島には展望台があったり、小さなビーチがあったり。
箱庭みたいな雰囲気なんですねー。

島に着いてまずは一番高い山に登り、ぼーっ。
山から下りて海を見ながらぼーっ。
チクワが高島名物だと聞いていたので、
チクワ屋さんに寄って、チクワかじりながらぼーっ、って感じで
4時間半が過ぎてゆきました。

夕方、佐世保市の相浦港に着き、MR(松浦鉄道)に乗り、佐世保へ。
久々の大都会で思わず目に飛び込んできたのは。。。

佐世保バーガーの看板、ケーキ屋さんのショーウインドー。。。
食べたいものが盛りだくさん! あああっ、食欲が止まらないっ!!!

とりあえずは佐世保バーガーでしょ、てなワケで
今日泊まるホテルの人におすすめの店を聞き、ベーコンチーズバーガーをオーダー。
でもね、率直なところ、

思ったより小さかったのだ。。。(´・ω・`)

昔ニューヨークで食べた超ビッグサイズのハンバーガーを想像していたので、
「これなら3つくらい食えそうだぜ」と、思わず心の中でつぶやいちまいました。
そこで、よせばいいのに山盛りのポテトもつけて、
食べ終わったあとはケーキ屋さんに移動。
ケーキ2個にコーヒーが付いて430円ポッキリという、
夢のケーキセットをオーダーしちゃいました〜♪

でも、でも、でも、でも、
海軍シチューも食べたいし、レモンステーキも食べたいし、
九十九島カキも食べたいし、入港ぜんざいも食べたいー。

もしかして、佐世保ってメタボの都!?
脂肪付きまくりんぐ?

あー、もうそんなのカンケーねぇ。
胃袋の続く限り食ってやる!

そうそう、肝心なことを言い忘れてました。
黒島も高島も、九十九島のひとつです。
九十九島とは、西海に連なる208の島々の総称で、
有人島はこの2つだけです。

というわけで、明日は平戸に移動し、的山大島に渡ります。
さて、ここで問題です。「的山」はなんと読むでしょう。
わかった人、よろしければBBSに書き込んでってください。
ちゃんと読めた人には、もれなく賞賛の言葉が付いてきます。w

ではでは〜。

↓上段・高島から本土を見る。
 下段左・高島番岳の園地から見る海。
 下段中・チクワは高島名物。チクワ屋さんで買ったら、
 おじさんから手づかみでバトンタッチされました。(´Д`;)
 その下・ビッグマンというベーコンエッグバーガー発祥の店で、
 ベーコンチーズバーガーをオーダー。2個くらいは軽く食えそう。
 下段右・「ぽると」という佐世保銘菓を作っている店で、ケーキセットをオーダー。
 写真のケーキはどちらも110円。安くて(゚Д゚ )ウマー

2007 島おたく通信 part3 クルスの島をひたすら歩く。 2007.11.1
昨日、反時計回りに黒島を歩いたわたしは、
今日は時計回りに歩いてみることにしました。

周囲12kmあまりのこの島は、歩いて回るのにちょうどいい大きさ。
ラッキーなことに、途中、道を尋ねたおじいちゃんの計らいで、
保育園とデイザービスセンターも見学することができました。

この島には修道院があって、11名のシスターが生活しています。
保育園も、デイサービスセンターも、修道院の経営です。
院長と園長を兼ねるシスターから、
いろいろ施設の説明を受けたのですが、
もの静かなシスターの声は、園児たちの歌声にかき消されて、
耳の悪いわたしにはほとんど聞き取れませんでした。残念。

おじいちゃんの話では、
いま島の人口は500人あまりで、年々激減しているとのこと。
資料では、昭和50年代のはじめに1500人を超えていたとあるので、
30年で3分の1になっちゃってるわけですね。

せっかくなので今日も教会に寄ってみました。
ステンドグラスから差し込む光が、美しく堂内を照らしていました。


日々のつぶやきバックナンバー インデックスへ
inserted by FC2 system