日々のつぶやき
<ガッツリ飽食日記>ときどき<島おたく通信>

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ホーム最終戦 2008.11.30
早いもので、Jリーグもホーム最終戦となりました。
FC東京×アルビレックス新潟。

もうすぐ12月とあって、スタジアムは寒い、寒い。
試合内容も寒かったので、心身ともに冷え込んでいましたが、
真吾のヘッドで辛勝。勝ってよかった〜。

試合後、J福センパイより、サポーターに挨拶がありました。
J福センパイ、熱いっす。ステキっす。(*゚▽゚*)
あたしは来シーズンもセンパイについていきますっ☆
ファンレター書いちゃおっかなー。w

で、今日もスタジアム帰りに武蔵境のユ○ク□で散財して帰りました。www

↓上・味スタはラベンダー色の夕暮れがいい感じでした。
  中・黄色いビブスの記者の前にいるスーツで手をたたいている人がJ福センパイです。
  ホントに学校の先輩です。富士通コーチ時代に一度会ったことがあるけど、
  熱くてステキな人でしたっ☆
  下・昨日染めた髪は、こんな感じです。

髪染めてお買い物。 2008.11.29
ずっとわたしの髪を染めてくれていた美容師のNちゃんが、昨年、日系アメリカ人と結婚して渡米。

これまでに2回くらい帰国して、そのたびサロンに1週間くらい顔を出していたのですが、
ビザなどの事務的な手続きがすべて終了して、
日本でサロンに出るのもこれが最後になりそう、とのこと。

なので、まだ染めるには早い時期だったけれど、餞別代りに髪を染めてもらいに行きました。
久々の表参道にやや緊張。w

さすがNちゃん、今回はグリーンを強めに入れて、いい感じに染めてくれました。
いまはサンノゼに住んでいるけれど、近い将来にはハワイに住むとのこと。
いいなー。お幸せに! (・∀・)

表参道まで行ったついでに、例のあの店に寄ってみました。
50mくらいの行列ができていたけれど、ヒマだったので並んでみたら……。
5分くらいであっさり入れてしまいました。

店内は多くの人でごった返していたけれど、
レジに並んでいる人は思いのほか少なくて、みんな冷やかしという感じ。
すぐ後ろにいた人が「思ったよりパッとしないねー」と言っていたけれど、まさに同感。
わたし的には、ドレスっぽい服はZA○Aのほうが、カジュアルっぽい服はユ○ク□のほうが好きっす。
でもせっかく並んで入ったので、10Kくらいのお買い物をしてみました。
髪が約20Kだったので、今日は30Kくらいの出費。

島から帰って、毎日激しく浪費しています。w

↓この店ですよ。ギャ○ソンとのコラボセーターとか買ってみました。

スキーモード突入! 2008.11.28
旅の間にちょっと持病を悪化させてしまったので、今日はまず病院です。。。(´・ω・`)

病院は淡路町にあり、淡路町といえば、スキーショップ街も目と鼻の先ということで……

ブーツ買うじょーーーーー! (`・ω・´) と、スキーソックスを履いて意気揚々と出かけました。

で、買っちゃいました。初めてのレクザム。(ノ´∀`*)エヘヘ

これまでブーツはラング、ラング、ラングと3足ラングが続いていたので、
足にも合ってるし、またラングかな、と思っていたのですが、
お店の人に勧められてレクザムを履いたところ、まぁまぁだったので、これに。

滑りが劇的に変わることは期待できませんが、いい感じで滑れるといいなぁ。
ちなみになんの予備知識もなく買い、あとでネットで調べたところ、
このブーツは「初級寄りの中級クラス用」でした。まぁ、あたしには十分ってことで。

↓左・病院もスキーショップ街も実家のすぐ近くです。子供のころから見慣れた風景。
  よく見ると東京も空が意外と広いです。
  中・数シーズンはこれで頑張りますっ! (`・ω・´)
  右・神保町まで行ったついでに、スヰートポーヅで餃子食べて帰りました。
  お目当てのスヰートポーヅは売り切れ。(´・ω・`)

2008 島おたく通信 part23 旅の終わりに。 2008.11.27
島へと旅立ったのは11月5日。
あっという間に3週間が経ってしまいました。

今回はいつもの年より約1週間短い旅で、
最初のうちは残務のメールチェックに追われ、
今日は今日で羽田に着いてからその足で仕事に復帰という、自分としてはタイトなスケジュールだったので、
旅に少々物足りなさを感じたのは事実です。

昔はひとつの旅に、何か期すもの(うまく説明できないけれど)があったのだけれど、
年とともに、だんだんそういう思いが薄まっていくのを感じた旅でもありました。

前半は佐賀+壱岐、後半は八重山。
それでも、わたしはいろいろな人に会い、いろいろなものを見てきたように思います。

よく、「なぜ島に旅立つんですか?」と聞かれます。
理由はいろいろあるのですが、そのひとつは、
太陽は東から昇って西へ沈むとか、
今日は雨が降っているとか風が強いとか、
満月の夜は月明かりだけで歩けるくらい明るいとか、
道で人に会ったら「こんにちは」を言うとか、
日々の街の暮らしの中で忘れているすごーく基本的なことを思い出させてくれるから、
なのではないかと思っています。

佐賀県の呼子からスタートした今回の旅は、
どしゃぶりの雨に打たれた日もありました。
抜けるような青空を見た日もありました。
壱岐で見た満月、西表で見た星空。
ひとつひとつの風景と出会った人たちの顔が、旅の終わりに蘇ります。

やっぱり、今年もいい旅をしてきたんですね。
快く送り出してくれた人たち、ありがとう。

★今年訪ねた初めての島
松島、加部島、馬渡島、加唐島、小川島、神集島(以上佐賀県唐津市)
原島、長島、大島(以上長崎県壱岐市)
★おなじみの島
西表島、竹富島(以上沖縄県竹富町)、石垣島(沖縄県石垣市) でした。

定期航路のある有人島全踏破への道はまだまだ長いっ!
Mの「島おたく通信」はまだまだ続きます!

↓左・島で迎えた最後の朝。起きたらすごい雨と風でした。
  中・グルクンの唐揚げやジーマミ豆腐など、沖縄食材のおいしい朝食を食べて出発しました。
  右・石垣から東京に帰って、その足で銀座の仕事場に行き、
  さらに広尾に打ち合わせに行きました。街はクリスマスです。

2008 島おたく通信 part22 野底マーペーアタック! 2008.11.26
今日も天気はイマイチです。

わたしもMちゃんも午前中に竹富島を出ることにしていたので、
2人で少し散歩して、港まで宿のクルマで送ってもらいました。

わたしは少し時間があったので、桟橋で先に出島したMちゃんを見送りましたが、
たった2日間同じ宿にいただけでも、人を見送るときは胸キュンになるものですねー。
十数年島の旅を続けてきて、港で幾度となく人を見送ったり見送られたりしましたが、
桟橋にはいつも小さなドラマがあるように思います。

3週間の島の旅も、宿泊は今日を残すのみ。
今日は、昨年もお世話になった石垣北部の宿をとっていたので、
まずは3150円也でレンタカーを借り、北へ向かいました。
北へ向かったもうひとつの目的は、野底マーペーアタック。
わたしが密かに石垣のマッターホルンと呼ぶ山、
野底マーペー(別名野底岳)に登りたかったからなのです。

以前、半日くらいで登れると聞いたことがあるけれど、
なにも下調べをしていなくて、おまけに時折り小雨もパラつくお天気。
そして、見るからに急そうな登り。
決行か断念か迷ったわたしに決行を決断させたのは、
新垣食堂(伊原間にあるわりと評判のいい食堂)のお姉さんのひと言でした。

「昔は麓から2時間くらいかかったけれど、いまは新しい道ができたから、
15分くらいで登れますよ」

へ!? 15分?

それなら多少天気が悪くても行くっきゃないでしょう。

15分で山頂じゃ物足りないかと思って、一旦は麓の登山道入口まで行ってみたり、
「いや、やっぱり食堂のお姉さんの言ってた新しい道(=野底林道)を探そう」と、
その辺の道を行ったり来たりしたり、
やっぱ登る前にはトイレ休憩しとかなきゃと、カフェに入ったりしていたので、
登るまでにはだいぶ時間がかかってしまいましたが、
14時に登りはじめて、無事14時15分に登頂成功。

わずか15分の山歩きで、360°の絶景!
野底マーペーはかなりオイシイ山でした。
天気がよければ、絶対におすすめ。
野底林道沿いには展望台もあって、それほど知られていないので、
お弁当を広げるにもいいと思います。

山から下りたわたしは、一路、宿のある明石へ。
お母さんのおいしい料理を食べ、部屋に現れた巨大ゴキブリと格闘して寝ました。

↓1段目左・この山のかたち、マッターホルンぽくないですか?
  右・山頂は巨大な岩がゴロゴロしています。岩によじのぼって登頂成功。
  実はこの山、マーペーという女性にまつわる悲恋伝説があって、
  無理やり引き裂かれた黒島の恋人を思うあまり、
  マーペーは黒島を見ようと病の身でこの山に登り、岩になってしまったそうです。
  2段目・山頂から南側を見る。3段目山頂から北側を見る。

2008 島おたく通信 part21 竹富島その2 2008.11.25
竹富に来てから、どーも天気がすぐれません。

昨日、散策中に大雨に降られてずぶぬれになったわたし。
今日は朝からしとしと雨。
でも、カッパを着こんでひたすら歩き回ってきました。

今回の旅で、もっとも費用対効果が高かったもの。
それは……
呼子のダイソーで買った105円のカッパです。
馬渡島、加唐島、竹富島で大活躍!
昨日の大雨も、カッパを持っていたおかげで、
上半身はほとんど濡れずに済みました。(・∀・)イェイ!

それはさておき……
竹富はとにかく観光客の多い島で、
石垣からの日帰りツアーでやってくる人が大量に桟橋に降り立ちます。
そして次々にマイクロバスに乗り込んでは、島の観光ポイントを周り、
その日のうちに島を離れていきます。
逆にいうと、ツアーのルートに含まれない場所はひっそりと静まり返り、
小さな南の島らしい風情がたっぷり。

11月15日の日記に「世界の果て」のことを少し書きましたが、
その意味ではこの島は、世界の果てに続くような道が盛りだくさんで、
歩いていくと、必ず白い砂浜に突き当たります。

皆治浜という星砂で有名な浜まで行ったとき、
少し沖合いに白い砂浜が見えていたので、膝上まで海に浸かって歩いてみました。
海水はまだ温かく、気合いがあれば十分に泳げそうなくらいでした。

昼はTさん、Mちゃんと待ち合わせて、ビール&ランチ。
昼からビール、(゚Д゚ )ウマー

Tさんはこのあと名古屋に帰るべく、島を発っていきました。

午後もよく歩いたので、今日はぐったり&ぐっすりでした。

蛇足ですが……
同じ宿に母娘で泊まっていたお客さんに「日本の島々を巡っている」といったら、
お母さんに「若いころから旅をしているんですか?」と聞かれ、
「ええ、若いころから……」と答えたものの、ビミョーに凹んでみたりしました。(´Д`;)ニガ
いつまでも若いと思っていたら大間違いだぜ。>自分。

↓上段左・竹富島といえば、水牛車が有名ですね。
  中・皆治浜の沖合いの砂浜まで歩いていってみました。
  ほか・竹富の道は実にいい感じ。蝶が多いのでびっくりしました。

2008 島おたく通信 part20 竹富島 2008.11.24
昨日、西表から石垣に出てきたものの、その後の予定は白紙だったわたし。
残り少ない日々で、波照間に行こうか、与那国に行こうか、
それとも別の島に行こうか、さんざん迷ったあげく、竹富に渡ってきました。

たぶん、6年ぶり4度目の竹富です。

やはり竹富は思いっきり絵になるところですねー。
シーサー&赤瓦の街並み、白いバラスの道……。
一大観光地ですが、観光客の訪れるお決まりコース以外はしっとりと落ち着いていて、
島らしさを感じられる島だと思います。

いっとき散歩して宿に戻ったら、
おととい西表のI荘で一緒だったTさんにバッタリ。
八重山も狭いです。

夕食後、同宿の4人で泡盛を飲み、23時を回ったころ、
Tさん、埼玉から来ていたカメラが趣味のMちゃん、わたしの3人で
西桟橋まで散歩に出てみました。

八重山に来たら、必ず見ておきたいもののひとつがホタル。
西表でもだいぶ見ましたが、ここ竹富でも道路沿いの草むらで、
何匹か姿を見ることができました。

夜の西桟橋はちょうど潮が引いていて、
先端まで歩いていって、海水をパシャパシャしたり、真っ暗な桟橋で記念撮影したり。

東京はもうずいぶん寒くなったと聞きます。
八重山も、八重山なりに寒いといえば寒いのですが、
まだ素足にビーサンで十分。

こうした夜の徘徊も、旅の楽しみのひとつです。

↓左・竹富はまさにイメージ通りの沖縄がある島。
  個性的なシーサーの姿を訪ね歩くのも楽しいっす。
  右上・夜ともなれば島は人影もなく静まり返ります。
  右下・懐中電灯をもってまっ暗な道をお墓の横を抜けて西桟橋へ。
  わたしとMちゃん、女子2人はかなりビビッてました。
  桟橋で写真を撮ったけど、背後は当然真っ暗! 足元はまだビーサンです(嬉)。

2008 島おたく通信 part19 浦島太郎 in 船浮 2008.11.23
西表最終日。

常宿・I荘は居心地がよくて、ついついダラダラ滞在してしまうのですが、
今日、重い腰を上げてチェックアウトすることにしました。

西表を出る前に、まずはデジカメを回収すべく、朝イチのバスで祖納へ。
せっかくそっち方面に向かったので、
祖納から白浜まで歩いて、7〜8年ぶりに船浮に行ってみることにしました。

船浮というのは、西表の道路の終点・白浜から船でしか行けない、
陸の孤島ならぬ、離島のなかの孤島です。

まず、白浜に着いてびっくり。
新しくきれいな桟橋が! 待合所ができている!
しかもそこには、以前の船浮丸から想像もつかないピカピカの高速船が泊まっている!!!

昼メシのパンを買おうとして売店に行き、
店のおばちゃんに「桟橋がきれいになったねー」と言うと、
「船浮行くと、もっとびっくりするよ。浦島太郎だよ」と。

連休中だけに、船浮に向かう人もかなりの数。
さらに観光バスが次々にやってきて、グラスボートに人を乗せています。

えええっ!?

秘島ムードたっぷりだった、あの船浮が!?

高速船が着いた先は……
レストランや売店が立ち並ぶ竜宮城でした。w

初めて船浮丸で船浮に行ったときは、乗客はわたし一人。
食事をするところは1軒もなく、店を見た記憶もありません。
いまの船浮は、人口50人の集落に観光客がゾロゾロ。
でも、16年ぶりに見たイダの浜は、相変わらずの美しさでした。

船浮からいったん宿に戻って、かあさんに「良いお年を!」と挨拶し、石垣へ。
来年もまた、西表に戻ってこれるといいなぁ。

石垣では、数日前にI荘で一緒だったKさんと待ち合わせて晩メシに行きました。
残念ながら焼肉のやまもとは満席だったので、
以前から行ってみたかった森の賢者というダイニングバーみたいなところを予約。
かなりガッツリ行きました。

京都出身のKさんは富良野スキー場のそばで働いていて、
今年の2月、わたしは偶然、その仕事場を目にしていました。
今度行ったときに(恐らく今シーズン中に)寄ってみたいと思いまーす。

ぜひぜひ一緒に滑りましょうねー。(゚∀゚ )b
ちなみにKさんはテレマーカーだそうです。

↓せっかくきれいな景色が広がっているのに、回収したデジカメはバッテリー切れ。(´・ω・`)
  そのぶん、ケータイくんが頑張ってくれました。
  左上・連絡船・ふなうき。左下・イダの浜。右・イダの浜で。右下にわたしが写っています。

2008 島おたく通信 part18 租納にて。 2008.11.22
西表6日目。
ようやく、すっきり晴れましたーーーーー! (゚∀゚ )b

八重山に、白い日差しと夏の風が戻ってきました。

朝、PCに向かっていたら、「天気がいいのに今日も出かけないの?」と、かあさん。
さすがにこの天気で引きこもっているのはもったいないと思い、
昼からバスで租納まで出かけてきました。

祖納ふるさとの森展望台は、西表に来ると必ず向かう場所のひとつです。
ここに展望台ができたのは10年くらい前でしょうか。
3つの東屋があって、眺めはなかなかのものです。

でも、一番上の東屋は、周りに雑草が生い茂り、
ほとんど眺望がなくなっていました。(´・ω・`)

本来なら、外離や内離、宇奈利崎などがきれいに見えるはずなのですが、残念。
おまけに蚊に刺されまくったので、
ほうほうのていで2番目の東屋まで下り、しばらくぼーっとしていました。

西表を縦走した前日、Y隊員と一番上の東屋でお弁当を食べたっけ
(島おたく通信の西表島 その2「西表縦走リベンジ記」参照)。

あれから、あっという間に6年の月日が流れてしまいました。。。
早いものです。
そして初めて西表を訪れてから、16年の月日が。

Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) ヒョエー

まったく成長しない自分に、焦りを感じる今日このごろっす。

帰りのバスは15時台が最終なので、
もう少しゆっくりしたいなと思いながらも祖納を後にし、バスで上原へ。
雰囲気のいい新しいカフェができていたので、お茶して帰りました。
(偶然、そこにスナフキンが現れたのにはちょっとびっくりしましたが)。

西表での穏やかな一日。
でも、ちょっとしたハプニングが勃発。
デジカメをどこかに落としてきてしまったのです。
バス会社に電話したけれど見つからず。
もうひとつ可能性があったのはバス停だったので、
バス停前にあったスーパーに電話したところ、預かっているとのこと。ヽ(´ー`)ノ ホッ

なので、西表最終日は、再び祖納まで出かけることになりましたとさ。

↓3番目の展望台からの眺め。車道の終点から続く徒歩道も、かなり荒れていました。残念です。

2008 島おたく通信 part17 星の降る音 2008.11.21
西表5日目。
相変わらず天気は曇りですが、ようやく風は収まる兆しを見せ、
空も明るくなってきました。

なので、名古屋から来たスナフキン・Sさんのガイド役を務めながら
ヒナイサーラに行ってきました。

初西表のSさんに滝の上からの絶景をベストな状態で見てもらいたかったけど、
ちょっと曇っていて残念。それでも喜んでもらえたようでよかったです。

夜は、わたし、Sさん、この日到着したNさんの3人で、夜光虫を見に上原港まで出かけてみたのですが、
あいにく見られず。

でも、上原港での時間は、今回の旅で忘れられないシーンのひとつとなりました。

実はSさん、会社をやめて3か月の旅に出ていて、
今後フラメンコのギタリストとしてプロの道に進もうか、思案中なのだとか。

昨日も一昨日も、Sさんの部屋からすごーく気持ちのいいギターの旋律が聞こえてきたのですが、
なーんとわたしたちのリクエストに応えて、真っ暗な夜の港の待合所で演奏してくれたのです。

アドリブで10分くらいだったかな。
空から星が降ってきそうな、そのまますーっと眠りに誘われるような、癒される音でした。

ビールまでご馳走になっちゃって、どうもありがとう。(・∀・)

ずっと曇っていて星が見えなかった西表も、今日は3分の1くらい星が見えました。

明日こそは、晴れますように。(-∧-)

↓左・今日のヒナイサーラです。少し水が多め。
  右1段目・滝の上からの眺め。曇りです。。。
  2段目・ルート上で見かけたサキシマスオウノキ。
  3段目・とんとんみー(ミナミトビハゼ)もいっぱい。

2008 島おたく通信 part16 重い腰を上げて…… 2008.11.20
2日間、宿に引きこもっていたので、今日は少し歩かねば、と思って、
宿のある上原から反時計回りに散歩してきました。
歩いた距離は9kmくらいですかね。

ちょうど潮が引いていたので、中野という海岸からビーチを歩いて星砂の浜へ。
それから宇奈利崎の旧太陽の村(某社がリゾート開発に失敗して撤退した場所で、廃墟がある)へ。
そして最後にトゥドゥマリの浜に行ってバスで帰ってきました。

毎日厚い雲に覆われ、風の強い西表ですが、歩くにはちょうどいい気候です。

西表には新しい店や宿がいっぱいできていて、ちょっとびっくりでした。

そういえば、昨日I荘にやってきたお客さんは、名古屋からここまで歩いてきた(!)そうです。
西表に行こうと思って、2か月くらい前に名古屋を出発。
日本海側を歩いて下関へ出て、関門海峡を渡って、大分、宮崎と歩き、
志布志からフェリーに乗って那覇へ(さすがに海の上は歩けませんからね)。
那覇から石垣へはフェリーがないので飛行機を使ったものの、
空港から港までは歩いたそうです。

キャンプ道具とギターをもち、日が暮れてから眠るまではギターを奏でて時間を潰したとか。
まさに、スナフキンな感じですね。

昨日も今日もI荘は、わたしとその人と、ヘルパーのエビちゃんと母さんだけだったので、
2日ともお鍋を囲んでのアットホームな夕食となりました。
昨日は野菜や鶏肉の入った鍋、今日は手作りの餃子が入った鍋。
ほかに副菜もあってボリュームたっぷり。
お皿にテンコ盛りのカキやパインもおいしかったです。

↓上段・中野のビーチ。砂の上にはいろんな足跡がついています。
  努力の跡がうかがえる、この穴の住人の足跡。鳥っぽい足跡。猫っぽい足跡。
  一番フラフラしてるのは、わたしの足跡。w
  下段・宇奈利崎からトゥドゥマリの浜を見る。

2008 島おたく通信 part15 |_ー) ヒキコモリ 2日目。 2008.11.19
雨は降らなかったけれど、今日も風は強く、厚い雲に覆われた寒い一日となりました。

なので、今日も思いっきり引きこもってブログの更新です。
昨日中に、引きこもりに備えて昼食のパンを買ってきていたので、
見事に! 一歩も! 宿の敷地内から出ていません。w

昨日、今日の2日間で、1週間ぶんくらい滞っていたブログを書き終えてスッキリ!

「そんなにパソコンに向かっていて、飽きないの?」

かあさんの一言が突き刺さります。w

I荘は、仕事の2人と、昨日一緒に飲んだ3人の女子がチェックアウトして、
わたし一人になりました。
夕方には誰か来るでしょうか? ちょっと寂しい。。。

↓女子4人でチーズ! 撮っているのはヘルパーのエビちゃん。
  右端・S子姉さんのテンションの高さに引きずられている!?

2008 島おたく通信 part14 |_ー) ヒキコモリ 1日目。 2008.11.18
朝、雨と風の音で目が覚めました。

今年も……か。

驚くほどマンネリ化している西表でのわたしの行動パターン。

去年の11月20日の日記と、ほぼ一緒です。(´Д`;)
定点観測スポットも、まったく同じような写真。

そこで、ここ数年の行動パターンを見てみました。
リンクはそれぞれ西表に到着した日の日記。
それから数日間遡ると、だいたいの行動パターンがわかります。

'06年

'05年

'04年

やってること、一緒ですねー。w

少しは動かないといけません。
でも、この悪天候のおかげで、たまっていたブログの更新が一気に進みました。
西表まで来て一日中PCの前に座りっぱなしってどうなのよ、と思いつつ、
そんなことできるのも西表だからかな、なんて自分に言い訳している今日このごろ。

↓左上・朝一番で目にした光景。
  その下・昼過ぎ、重い腰をあげて上原までお昼を食べに行きました。
  波止場食堂のおばぁは、膝を手術したとかで、歩くのがしんどそうでした。
  スーパー川満でおやつを買い込んで、毎年立ち寄るneeneという店でネックレス購入。
  のべ歩いた時間は1時間弱。
  右上・この写真、過去の日記にも必ず登場しています。西表の定点観測ポイントです。
  下の3つ・今日はかあさんの用事で夕食がなかったので、
  泊まっていた女子4名でポケハに夕食……というよりは飲みに行きました。
  海ぶどうとか、ラフテーとか。久々のポケハ、相変わらずな感じ。w
  そのあと、宿で1時過ぎまで飲んでいました。
  沖縄の映像制作会社の人と東京のテレビ局の人が仕事で泊まっていて、
  映像制作会社の人が飲み会に加わってきましたが、
  沖縄の風習やお祭りの話をいろいろ聞けておもしろかったです。
  沖縄出身の人かと思ったら、なんと韓国の人でした。
  あまりの博識ぶりにびっくり!
  日本語がペラペラなのはもちろん、とても客観的な物の考え方をする人で、
  話し方も穏やかでした。いっそのこと「ヨン様が大統領になればいいのに」と言ってたけど。w

2008 島おたく通信 part13 福岡から西表へ。 2008.11.17
12日間の九州島巡りを終え、今日は一路、西表へ向かった。

この12日間、天気は悪い日もあったが、暖かい日が多く、
半袖のTシャツ+パーカで過ごせたのは本当にラッキーだった。

今回の旅、当初は十数年前に1度、仕事で訪ねただけの壱岐と対馬にも行こうと思っていたのだが、
気温がぐっと下がるという天気予報を聞いて、
壱岐の本島と対馬をすっ飛ばして一気に八重山に移動することにした。

沖縄に行けば、夏の白い日差しと湿気を含んだ風が迎えてくれるだろう。

しかし、降り立った那覇空港は……

さーむーいー((;゚Д゚)ガクガクブルブル

雨がしのつき日差しはなく、ひんやりと寒かった。

乗り継いだ石垣も……

さーむーいー((;゚Д゚)ガクガクブルブル

離島桟橋で少し時間をつぶして西表島に向かったが、
上原航路は欠航で大原回りになった。

17回目のI荘は、今年も変わらず。
7人の宿泊客のうち4人が外国人(ドイツ人♂1人、フランス♀1人、
オランダ人とドイツ人のカップル1組)で、夜はみんなで泡盛を飲んだ。
フランス人女子以外は日本語が全然できなかったので、
なんだかチンプンカンプン、久々に知恵熱が出そうな飲み会だった。w

↓石垣着陸少し前。珊瑚礁の海が近づいてきました。

2008 島おたく通信 part12 社会科見学in大島 2008.11.16
(ひとまず言い訳)
この日記は11月19日に書いています。
毎日、毎日、新しい出来事いっぱいで、早くもこの日の記憶が曖昧に……。

一昨日、原島を巡ったわたしは、いったん郷ノ浦に戻り、
昨日再びフェリーみしまに乗って、大島に渡った。
三島のなかで唯一、宿があるのが大島。
1軒だけの宿・K嶺荘にチェックインして、昨日は雨のなか、長島を周った。
大島と長島は平成11年に完成した珊瑚大橋で繋がっているのだ。

長島は、放牧場あり岬ありの風光明媚な島で、
橋の下の海の色は、晴れていればすっごくキレイに違いなかった。

今日の天気予報は曇り……だったのだが、
ラッキーにもだんだん青空が広がってきた。

朝食のとき、K嶺荘の奥さんに、島のおすすめスポットを訪ねると、
太平洋戦争の際の砲台の跡があるという。
でも、「わたしは行ったことないので場所を聞いてあげる」と。
奥さんは50代に見えたが、島のお嫁さんというのは、
案外自分の住んでいる島のことを知らないことが多いのだ。

しばらくすると奥さんが戻ってきた。
砲台の場所を島の人に尋ねたところ、その人が案内してくれるという。

ラッキー♪

かくして、S永さんとの社会科見学がはじまった。

60代半ばのS永さんは、壱岐栽培漁業振興公社をリタイアした人で、
自分の水産会社を経営している(これはあとで調べてわかったことだが)。

まずは挨拶をして、S永さんのクルマに乗り込む。
そして最初の解説。S永さんが「自分がつくった」というA4のビラを取り出した。

あのときの計画から苦節二十九年の歳月

全島民の悲願
嫦娥三島大橋 原島大橋 架橋の早期実現を!!


このビラ、船の待合所や船内で見かけていたのだが、
レイアウトや構成が実によくできていて、
60代半ばの老人が作ったとは思えない。

でも、架橋の実現性を尋ねると、S永さんは淡々と言う。

S永さん「2つの橋を架けるのに、いくらかかると思いますか?」
わたし「え? 500億くらいですか?」
S永さん「そこまではいかないけど、260億なんですよ。
珊瑚大橋も当初は16億円といっていたけど、結局26億円かかってるんです。
費用対効果とか考えたら、離島に橋は架けられませんよ」

それでも、29年前に一度浮かび上がったこの計画を風化させないよう、
S永さんは活動しているのだという。

ビラには架橋を待ち望む島の小学生のコメントが載っていた。

「おばあちゃん、橋を渡ってすぐに行くよ!
おばあちゃんは渡良に住んでいるので、橋ができたらすぐ会いに行けるからです」

( ´ゝ`)フーム

そのあとS永さんと周ったのは……

・16億円をかけて新築中の壱岐栽培漁業振興公社(橋の上からチラッと)
・砲台跡(現場は藪が深いので、クルマで入れるところまで)
・防風林の松植樹エリア2箇所
・瀬柱(神話の時代、壱岐は海の上を漂っていた。神はそこに8本の杭を打ち、
壱岐を固定させた。壱岐本島で有名な猿岩はその1本といわれるが、
S永さんは瀬柱もその1本ではないかと考えている。瀬柱の上にある鳥の巣は、
希少なミサゴの巣ではないかと、S永さんは推測する)
・ショウゴロウさんの墓(江戸で謀反を起こして島流しにあった政治犯、
ショウゴロウさんの墓と伝わる場所。島では子供たちに学問を教えた。
早稲田大学創設時にこの島から教授を輩出しているのは
ショウゴロウさんの功績によるところが大きいのではないかと、S永さんは推測する)
・壱岐市営大島海水浴場(シーズン中には監視員がおかれる。水シャワー無料)
・三島小学校(外観。生徒8人、先生9人、生徒1人あたりにかかる費用は、年310万円)
・大島神社(お祭りの費用を捻出するのがとてもタイヘン。
昭和12年の社殿改築時の寄付者の名を刻んだ塔が立つ。
広島県から高額の寄付を行っているのは、
当時S永さんの家に逗留していた砲台の設計技師の人だとか)

S永さんの話にはなにかと推測が多かったが、
壱岐の大島をなんとか人に知ってもらいたい、という心意気は伝わった。

2時間の社会科見学、たっぷり楽しめました。ありがとうございました! (・∀・)

それからわたしは、再び島を歩きはじめた。
途中、島の人に教えてもらいながら民家(看板ひとつ出ていないが実は商店。
店のおばあちゃんに、「よくわかったね。誰に聞いたの?」といわれた)でパンを買い、
もう一度海水浴場に戻ってランチ。
目の前を、対馬に向かうフェリーちくしが悠々と航行していった。

大島を夕方の船で離れ、郷ノ浦港に着いたわたしは、
対馬から折り返してきたフェリーちくしに乗って福岡へ。
日曜の上り便とあって船は予想以上に混んでおり、
カーペット敷きの2等船室は寝そべる人でほぼ埋まっていた。

ひとしきり眠って、福岡着。
博多港に着くと、まずはわたしのお約束、ポートタワーへ
(展望台はなんと無料なので、博多港に来るといつもここに立ち寄る)。
その後、タクシーで中心部のビジネスホテルへ。
明日の八重山への移動に備えて、しっかり寝た、といいたいが、
実際は、ブログの更新に忙殺されて(!)、夜更かししてしまった。

島旅中はしっかりブログを更新しようと思うのだが、
それが逆に旅の負担になっているようにも感じる。

正直、だんだん面倒くさくなってきた。。。。

↓上段左から1番目・コンクリートの砲台跡。
  2番目・瀬柱までの草むらを進むS永さん。案内してもらわなければ絶対わからない場所。
  3番目・これが杭のひとつではないかといわれる(神話の話だけど)瀬柱。
  4番目・唐津城の方向を向いてあるショウゴロウさんの墓。
  亡くなったときに、唐津城の方向に埋葬してくれと遺言したとか。
  以来、ショウゴロウさんをお世話していた家のお嫁さんが4代に渡り、
  葉のついた枝(シキミなのかなぁ?)を手向けている。
  下段左から1番目・大島海水浴場。水がきれい! 壱岐のビーチは日本でも屈指の美しさ。
  ハンパな沖縄よりもずっときれい。水はエメラルドグリーン!
  2番目・壱岐・大島沖を対馬に向かうフェリーちくしと、
  対馬から郷ノ浦港に着岸したフェリーちくし。
  3番目・博多港が近づいてきました。中央がポートタワー。
  改装して少しきれいになったような気がする。

2008 島おたく通信 part11 世界の果て 2008.11.15
わたしが思い描く世界の果ては、こんな光景だ。

一面のすすき野原の中に、一本の細い道が伸びている。
その道は緩やかにカーブして、先端は空に溶けている。

ひと足進むごとに、わたしの足元からは無数のバッタが飛び散る。
やがて夕闇から月が姿を現し、すすきを銀色に照らし出す。

          * * * * *

それは、遠い昔、鳩間島で見た光景だった。

人の足で踏み固められた荒野のなかの細い道は、
集落から島を縦断して、島の北側の海岸に出る道だった。
島の人々は、貝や、ときにはタコを獲るためにその道を通った。

わたしは、漠然と思った。
この先にあるのは海ではなく、世界の果てなのではないか、と。
この細い道をもう少し進み、緩やかなカーブを曲がった先には、
もうどこへも進みようのない、世界の果てがあるのではないかと。

          * * * * *

何年かのち、わたしは再び鳩間島を訪れた。

島には周回道路ができていて、
世界の果てへと続くと思われたその道は、すすき野原のなかに消えていた。

あの光景は時間のなかに消えて、
もう2度と再びわたしの前に現れることがないことを理解した。

世界の果てどころか、この世界から姿を消してしまった光景を、
わたしはときどき記憶のなかから呼び出してみる。

そしてわたし自身も、もはやそのときの自分ではないことを、痛感する。

          * * * * *

今日、長島を歩いた。

長島の放牧地帯の光景は、なんとなく、わたしの思う世界の果てに近い。

緩やかなカーブを曲がって、岬を望む道の終点まで歩いた。

いつか再びこの場所に立つ日がくるのだろうか。
そして、そのときこの場所は、世界のこちら側にあるのだろうか。

2008 島おたく通信 part10 原島 2008.11.14
壱岐入りから一夜明け、今日は郷ノ浦港から原島(はるしま)に渡ることにした。

郷ノ浦大橋からもしっかりその姿が見える3つの島、原島、長島、大島は、
渡良三島と総称されるらしい。

各島へは郷ノ浦港からはフェリーみしまで渡る。
実はこの三島、島の中の島というイメージで相当な僻地をイメージしていたのだが、
102トンのフェリーは1日4便あり、1000トンのエメラルドからつよりもむしろ乗客が多かった。

11:00出港の船に乗り、原島まで約30分。観光客らしき人間はわたし一人だ。
平成18年4月のデータでは人口145人、周囲4.3km。
平坦な土地に民家が点在し、畑が広がるのどかな雰囲気の島である。

天気がいいので、歩いていて気持ちがいい。
が、それにしても人がいない。。。

ほとんど人に会わぬまま、島のほとんどの道を歩き尽くし、一旦港に戻った。
ほどなくすると、ちょうど3便の船が着く時刻となり、港にわらわらと人が出てきた。
島の人は皆、わたしを一瞥して、それから再び島人同士のおしゃべりに興じた。

明らかに「この人誰!?」な気配を感じるのだが、誰も聞こうとしない。
以前から島を歩いていて、自分の雰囲気が“怪しさ全開”だと思うことがしばしばあるのだが、
(単なる観光客には見えないらしい。てか、行く場所が観光地じゃないし。w)
誰もわたしに声をかけず、したがって釈明の機会も与えられないので、
わたしは黙ったまま港の風景を眺めていた。

この島は、人口のわりには子供が多く(小学生が十数名)、30〜40代の女性も結構見かけた。
3便の船には島の小学生が全員乗り込んだので、どこに行くのか聞いてみたところ、
大島までクラブ活動をしに行くのだという。
この船で大島に行き、帰りは父兄が自分の船で迎えにいくのだそうだ。
クラブ活動をするにも海を越えなければならないのでタイヘンである。
ちなみに、この島に中学校はなく、壱岐本島の渡良というところまで、フェリーみしまで通っている。

その後、最後の船の時間まで、さらに島の中を歩き回った。
暖かく、風も波も穏やかで、半袖でも過ごせそうな秋の一日。

島の眺めは堪能したが、一抹の寂しさも感じた原島滞在だった。

↓1段目左・郷ノ浦港着岸中のフェリーみしま。ちゃんとクルマも搭載できるのです。
  中・原島が近づいてきます。右・ススキと青空。気持ち(・∀・)イイ!!
  2段目・島、散策中。秋の穏やかな一日です。
  3段目左・正面に長島と大島が見える場所でランチ。この2つの島は橋でつながっています。
  右・郷ノ浦大橋から夕暮れの三島を見る。防波堤の向こうに3つの島が仲よく並んでいます。

2008 島おたく通信 part9 神集島から十数年ぶりの壱岐へ! 2008.11.13
(とりあえずの前置き)
この日記は11月18日に書いています。
毎日、毎日、新しい出来事いっぱいで、早くもこの日の記憶が曖昧に……。

この神集島で佐賀県の島をすべて周り終えたわたしは、
次に壱岐に渡ることにした。

壱岐と聞くと、島がひとつしかないようなイメージがあるが
(実際、数年前までわたしもそう思っていた)、
メインの島のほかに、人が住んでいる島が3つあるのだ。
(数年前までは4つあったのだが、1つ無人島化してしまった)
壱岐には行ったことがあるけれど、島おたくたるもの、
なんとしてでもこの3つの島に行っておかねば!

壱岐までは神集島のある唐津市からフェリーで一直線。
というわけで、フェリーの時間から逆算して、13時の船で神集島を離れることにする。

それまで、昨日は逆回りに島をぶらぶら。
黒瀬という港では、パンフレットにあった鯨恵比寿の像を探す。
実はこの像、パンフレットに載っているのだが、
どこにもそれらしき姿が見つからない。

岸壁にいた釣り人に聞いてもわからず(島の人ではなかったみたい)。
やがてクルマに乗った茶髪のにーちゃん(20代後半くらい)が通りがかったので、聞いてみる。
すると……。

「自分、生まれてからずっとこの島に住んでるけど、そんなのは見たことも聞いたこともない」との返事。

そうなんだー。パンフレットには「島の人たちに親しまれています」と書いてあるのにね。

諦めて歩きはじめたら、にーちゃんが
「うちのばーちゃんに聞いてみる。よかったらクルマに乗っていけば?」と、言ってくれた。

偶然にもにーちゃんのばーちゃんは、昨日漁協で見かけて挨拶したおばちゃんだった。
(ばーちゃんと言うには雰囲気が若い。60代前半かな?)

ばーちゃんは「あるある。定置網の事務所の裏にあるよ」と言って、
一緒にクルマに乗ってくれたので、再び黒瀬に引き返して、鯨恵比寿発見。

建物裏の木の下にひっそりと、鯨にのった恵比寿さまがいた。
(島のホームページには鯨にのった布袋さまと書いてあったが、
鯨恵比寿なんだから恵比寿さまだと思うが。。。)

船の時間まであと少しあったので、
簡易郵便局に立ち寄って局長に挨拶する。

ひとりで島を巡っていて、昔はよく言われたこの一言。

「今度は彼氏を連れてこいよ」

余計なお世話……久しぶりに聞きました。(´Д`;)ニガ 奥さん、早く帰ってくるといいですね。

神集島をあとにしたわたしは、バスで西唐津駅前まで出てランチをとり、
フェリー乗り場行きのバスを待った。
(駅前の喫茶店、塩味のシーフードスパゲティに
いかにもブリの刺身の残り物って感じの魚を刻んで炒めるのはやめて( ゚д゚)ホスィ…)

でも、そこで大失敗。
バスに乗るために1時間半も喫茶店で時間を潰したのに、
予定時刻の10分前にはちゃんとバス停で待っていたのに、
バスをやり過ごしてしまった。_| ̄|○

なぜなら……
やってきたバスは「大島液化ガス」という行き先を表示した小さなマイクロバスで、
その会社の関係者が乗るシャトルバスかと思い、バス停から1歩下がってしまったのだ。

バスが行ったあとで、再度時刻表を確認し、
それがフェリーターミナルを経由するバスだとわかったものの、すでに遅し。
結局、タクシーでフェリー乗り場に向かった。(゚Д゚)チッ

唐津東港には、エメラルドからつが停泊していた。
佐賀の島々から、沖合いを通るその姿を何度も見かけていた唐津―壱岐間のフェリー。
1000トンクラスの船で、1日に4往復もしているのに、船に乗っている人は10人いるかいないか。
大丈夫か!? 九州郵船!

とにかくスペースが潤沢なので荷物を広げ、船中で11月10日のブログに着手する。
10日のブログがようやく書きあがったころ、船は夕暮れの印通寺港に着いた。

そこからバスで壱岐の中心、郷ノ浦へ。
これまでずっと、商店を見つけるのも苦労するような小さな島にいたので、
壱岐が大都会に見える。

ビルがある! 信号がある! 交通量が多くてクルマに轢かれそうになる!
商店街も、飲食店もある!

ひとまず昨日予約した観光客向けの大きなホテルにチェックインし、
夜はふらふらと街を徘徊した。
コインランドリーから帰る途中に見た満月は、それはそれは明るく美しかった。

↓1段目左・神集島の黒瀬から見る本土側の風景。右・これが鯨恵比寿です。
  2段目左・神集島の中心はここ。
  右側の建物が「神集島購買部」という看板のある売店&簡易郵便局。
  中・神集島には唐津市漁協神集島支所が運行するからつ丸(写真)と、
  ユージングボート宇野が運行する第八ほうめいという2つの船が就航している。
  ユージングボート宇野は、今年限りでなくなってしまうそう。船マニアは早めに乗るべし!
  からつ丸にはなんと英語のアナウンスも流れる。
  右・遠ざかる神集島の集落。
  3段目の左から1番目・エメラルドからつの背後には唐津城が見える。
  2番目・エメラルドからつの業務用ドライバー専用室。
  5人くらいのドライバーさんが、花札で大盛り上がり。w
  3番目の上は印通寺港。下は郷ノ浦の街並み。
  4番目&5番目・郷ノ浦で怖かったもの、横断歩道横の女児の人形。
  各所にあって老朽化の度合いもさまざま。左のコは帽子にひからびたナメクジのっけてました。
  右のコは実は目が青い。外人か!?

2008 島おたく通信 part8 神集島 2008.11.12
(お約束の言い訳)
この日記は11月17日に書いています。
毎日、毎日、新しい出来事いっぱいで、早くもこの日の記憶が曖昧に……。


朝、神集島に渡るべく、3日間滞在した宿を離れた。

神集島に渡れば、佐賀県の7つの島、すべてクリアである。
加唐島、小川島と、宿泊を断られていたので、
ここもダメかな、と思ったのだが、
「うちは4名からなんです」という民宿D荘の奥さんに、
「そこをなんとかっ!」といって宿泊を頼んだのが、2日前。
それでも1泊だけなので、ちょっと慌しい滞在になるかもしれない。

神集島への船は湊というところから出る。
呼子からバスに乗って、湊へ。
湊○○と名のつくバス停はいくつかあったので
(湊、湊入口、湊支所前etc...)
神集島に行くにはどこのバス停で降りればよいか運転手に尋ねたところ、
まったくわからない、聞いたこともないという。(゚Д゚#)

幸運にも湊のバス停から乗ってきたおばあちゃんが
「湊支所前で降りるといい」と教えてくれた。

神集島は、沿線のバスの運転手すらわからない
マイナーな存在なのだろうか?

船客待合所はバス停から5分ほどのところにあった。
出港まで30分以上あったが、
待合所にはすでに、小上がりで眠りこけているおばあちゃんと
簡易郵便局の局長兼神集島の区長がいた。

50代半ばと思われる局長は、ちょっと話したらなかなかおもしろそうな人だった。

神集島は、地図で見るとミジンコみたいな島だ。
神功皇后にまつわる伝説が残り、
736年に大阪を出発した遣新羅使の船が立ち寄った歴史もある。
その折に詠まれた万葉の歌・7首が歌碑となって島に点在し、
それを目当てに島を訪れる人も多いそうだ。

今日も天気がいいので、島を歩いていてとても楽しい。
黒瀬という港で護岸壁に寄りかかって昼メシを食べ、
夕方にはほぼ島を周り終えた。

最後に鬼塚古墳というところで古墳を見ていたら、
「おーい!」と局長。
郵便局の制服を脱ぎ、すっかり作業着(私服?)に着替えている。
「いま姿が見えたからそうじゃないかと思って」声をかけてくれたそうだ。

なんでもこの局長、山でイノシシを飼っているという。
「いまから餌をやりにいくので行くか?」と聞かれたので、
二つ返事でクルマに乗る。

「いまカミさんがいないから、女性を乗せてると冷やかされそうだなぁ」と局長。

わたし「どこかお出かけなんですか?」

局長「ジャスコ行くって出てったきり、今日は帰るだろう、明日は帰るだろうと思って、4年になった」

……。実にツッコミにくい回答である。

わたしが困惑した表情を浮かべていると、

「いやー、冗談だけど。ホントは親の介護があって島を出ている」とのこと。

この島は高齢者の比率が全国でも屈指ということで、
局長は、年寄りのおもりから雑用まで島のことを全部やっていると言っていた。
子供たちはみな島を出て働いているそうで、
イノシシの餌やりが終わったら、自分の親のために夕食の仕度にとりかかるという。
泣かせる中高年である。

夏の間だけオープンする蜘蛛の巣だらけのキャンプ場の一角に、
島で捕まえたというイノシシがいた。

1頭は相当デカイ。体重100kgは優にあるだろう。
もう1頭は、縞が消えたくらいの子供で、ビーグルくらいの大きさだった。

デカイほうはもう2年くらい飼っていて、もうそろそろ食べ頃……らしい。
おバカなイノシシはすっかり人に懐いていて、
小屋の戸を開けて外に出しても帰ってきてしまうのだそうだ。
局長が頭皮を洗うブラシでゴシゴシブラッシングすると、
気持ちよさそうにしていた。
なんかカナシス。(ノД`)

それから島をぐるっと周ってもらって、いろいろな話を聞いた。
3年前の福岡西方沖地震のとき、
住吉神社の鳥居や石灯籠はすべて倒れ、
いまの鳥居や燈籠はすべて修復されたものであること、
鳥居の一部分だけ石が新しいのは、そのためであること。
その前日に住吉神社でお祭りがあり、
一日ずれていたら多数の死者が出ていたかもしれなかったこと。
島には、かつて秋田のなまはげのような行事があり、
祭事のときに獅子舞のような面をつけて各戸を回っていたが、
いまは廃れてしまったこと。
かつて10軒近くあった宿も、いまは1軒だけになってしまったこと……。

対岸からわずか5分たらず。
でも、沿線を走るバスの運転手にすら存在を知られていない神集島。
静かで、穏やかで、海の眺めもいい島だが、
対岸の集落もみなそんな雰囲気だから、
わざわざ海を渡ってやってくるのは、わたしみたいな島おたく、
あるいはよほど万葉の歌に興味のある人しかいないに違いない。

ここは、のんびり歩くには、とってもいい島です。
だからみんな、行ってみてねっ!
島の名前は「かしわじま」です。

↓1段目左・湊から見た神集島全景。右・島のかたちがミジンコみたいでしょ?
  2段目左・海水浴場の水はとてもきれいでした。
  中・黒瀬から高島を見る。この高島は、昨年の11月17日に行った島です。
  リバースアングルはこの写真。1段目の右側の写真には神集島も写っています。
  右上・集落はこんな感じ。右下・無心に餌を食べるイノシシちゃん。
  3段目左・こんな感じで島の7箇所に万葉の歌碑が設置されています。
  右・無理言って泊めてもらったのに、夕食は豪華。ウニの炊き込みご飯もでました。
  D栄荘は1泊2食で6500円ナリ。

2008島おたく通信part7 クジラの島・小川島 2008.11.11
(お決まりの言い訳)
この日記は11月15日に書いています。
毎日、毎日、新しい出来事いっぱいで、早くもこの日の記憶が曖昧に……。

九州に来て1週間目。ようやく、ハレタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

今日は11:00の船で小川島に渡ることにしていた。
小川島行きの第1便は8:00に呼子を出航するのだが、
8:00の船に乗るのがかなり慌しいと、昨日実感したからだ。

11:00には少し時間があるので、
このさい遊覧船にでも乗っておこうと考えた。
呼子には「ジーラ」「ピンクジーラ」「イカ丸」というベタな名前の遊覧船がある。
もちろんジーラはクジラのかたち、
ピンクジーラはピンクのクジラのかたちの遊覧船である。
(恐らくピンクジーラのほうが先にできたのではないか)

と・こ・ろ・が。

どちらも欠航。_| ̄|○

玄界灘は一昨日から男の漁場になったと、
ここでもさんざん書いていたのに忘れていた。。。(´Д`;)

時間が余ったので、
馬渡島から戻ってくる船で見て気になっていた
岬の上の展望台に行くことにする。

呼子中心部から徒歩約30分。
この展望台、木製の展望棟は階段あり梯子あり、頭上注意と、
中高年にはなかなかキビシイ。w

それでも眺めはサイコー!
ちょうど馬渡島から郵正丸が向かってくるのが見えた。

11:00に小川島行きの連絡線「そよかぜ」に乗る。
(もちろん海上は、そよかぜどころではない強風である)

小川島は加唐島のすぐ隣りの島だが、
加唐島は鎮西町、ここは呼子町。
かつては捕鯨で栄えた島で、天気がいいのも手伝って、
すごく明るくオープンな島に見えた。
(ちなみに小川島は周囲4kmで人口約500人、
加唐島は周囲14.6kmで人口約200人)。

さっそく島を歩き始めると、
港近くの神社前にたむろっていたおっちゃんたちに声を掛けられた。
「17:00の船まで島を歩いている」と言ったら、
「5歩歩いて3歩戻るくらいじゃないと、17:00まで時間が潰せんよ」と笑われた。
「ホントは泊まりたかったけど、宿に断られた」という話をしたら、
「うちに連絡くれればいつでも泊めたのに」と、調子がいい。
恐らくそれがこの島の気風なんだろう。

島の見どころといえば、やはり鯨漁ゆかりのものが多い。

沖を通るクジラを見つけて知らせる見張り小屋、
鯨鯢供養塔(といっても70cmくらいのお地蔵さん。ちっちゃ!)などである。
さっそく島を歩きはじめ、
見張り小屋の前が展望の開けた公園になっていたので、そこで昼メシ。
それから、時計回りに島を周り、
おっちゃんたちが「ミニ東尋坊みたいだよ」といっていた岬に行く。
風は強いが、空は青い。波は荒いが、空を流れる雲は本当にきれいだった。

やはり、晴れると気持ちが(・∀・)イイ!!
ようやく旅が楽しくなってきた。ヽ(´ー`)ノ

なお、鯨漁はクジラの減少によって明治初期には衰退してしまったが、
いまでも年に数回は島からクジラが見られるそうである。
もちろんわたしは見られませんでした。

↓1段目左・遊覧船欠航。残念っ! 中・呼子港に向かう郵正丸。右・呼子の展望台。
  2段目左・月吉稲荷大明神の境内から、集落と見張り小屋方面を見る。
  中・鯨鯢供養塔。文久3年(1863)のもの。右・鯨見張所。中に入れます。
  3段目左・ミニ東尋坊? マン崎付近の海。右・島の南西・黒南風鼻付近にて。雲がきれい!
  4段目左・体験農園休暇施設(研修室や宿泊施設がある)めぐりあいらんどおがわにあった
  ステージ。クジラの置物の上にまたがりたかったが、人の目を気にして断念。
  中・帰りの船で「九古」と書いた船とすれちがう。どこの航路のものか不明(代船か?)。
  →11月16日に博多港でこの船を見かける。五島―博多航路の「太古」でした。(´Д`;)
  右・夕暮れの空には、満月ちょっと前の丸い月が。

2008島おたく通信part6 加唐島 2008.11.10
この日記は11月13日に書いています。
毎日、毎日、新しい出来事いっぱいで、早くもこの日の記憶が曖昧に……。

今日の朝食は慌しかった。
宿の朝食は7:30〜。
宿から桟橋までは徒歩15分。
8:00の船に乗るために、10分で朝メシをかっこんで、かから丸に飛び乗った。

目指すは加唐島である。

松島のすぐ隣りにある島で、
隣の島から見る限りでは、ずいぶんと“町”に見えた。
4階建てくらいある鉄筋コンクリートの学校がドンと聳え立っていて、民家が密集している。

人口90人の松島はもちろんのこと、
人口500人の馬渡島よりも“町”に見えたのだが……。

実際に降り立った加唐島は、思いのほか寂しい場所だった。
(人口も約200人だった)
島の店にパンくらいはあるだろうと思って、
今日は昼メシを持参していなかったのだが、
港そばの漁協の棚には、ほとんど商品らしいものがなかった。
「パンかなにかありますか」と店のおばちゃんに聞いたら、
「ごめんねー。いまないのよ。上の店にはあるかも」ということだったので、“上の店”に行く。

坂道を3、4分登ったところにある商店は、
これまた激しく寂れた雰囲気で、
申し訳程度に食料品と年賀ハガキと本を少々置いていた。
でも、ここで幸運にも賞味期限の切れていないパンをゲット!
牛乳とポカリスエットも買って(なぜかカロリーゼロの水やお茶は全く置いていなかった)
島巡りをスタートさせた。

今日も天気は悪い。
こちらに来てからというもの、まだ青空を見ていない。
予報は今日も雨。
どんよりとした空と、港から漁協に向かう途中の神社で、
蜘蛛の巣に思い切り顔面から突っ込んだこともあって、
なんだかテンションが下がり気味なんである。

この島は、百済の第25代の王、武寧王が生まれた土地ということで、
ここ何年か韓国との交流が盛んなようだ。
港近くには武寧王生誕地の碑も立っている。

まずは武寧王が生まれたオビヤ浦というところに行く。

寂しい。。。

武寧王の伝記がドラマ化されて、ヨンさまでも演じてくれれば、
おばちゃんたちがドッと押し寄せるかもしれないが、
いまは、サビスィ。。。(-_-)

それから島をもくもくと歩き回るが、
雨が降ったり止んだり。カッパを着たり脱いだり。
風も強くてテンションがさらに下がる。

のんびり3時間弱歩いて、島の北端に出る。
その先には壱岐が広がっていた。
くっきり見えていた壱岐は、ものの5分もしないうちに雨雲に覆われ、
雨が降っているのが見えた。

「あの雨雲が来ませんように」と念じつつ、オンス海岸というところで昼メシにする。
別に当初からそこでメシにしようと思っていたわけではないが、
オンス海岸という道標に導かれて、
ほとんど人が通ることがないと思われる道を下りていった。

やっぱり寂しい。。。。(ノД`)

なんか、すっかり寂しくなってしまったわたしは、
トイレ休憩をとろうと港の待合所に戻った。

ここで、幸か不幸かどしゃぶりの雨に。
雨はほどなく上がったが、なんとなく気乗りがしなかったので、
帰りの船の時間まで集落をウロウロして過ごす。

そして、16:30。
わたしを乗せたかから丸は、呼子に向けて出航した。
海は男の漁場感たっぷり。
そこそこ揺られて呼子に戻ると、空は夕焼けに包まれていた。

明日は天気いいといいなぁ。
なんとなく閉塞感のある島と、どんよりした天気。
今日はなにかと寂しい一日だった。

↓1段目・“上の店”。おじちゃんに了解をもらって店内を撮らせてもらった。
  2段目・武寧王生誕の地と伝わるオビヤ浦。産湯をつかったとされる井戸には、
  発泡スチロールのゴミが。
  3段目・島最北端にて。エヌオノ鼻と呼ばれる岩場と壱岐に降る雨。
  4段目・オンス海岸。ここでパン食いますた。メンス海岸にも行きたかったが、
  時間もなかったし気力的にも萎えた。
  5段目左・遠ざかる加唐島。右・夕焼けに染まる呼子大橋。

2008島おたく通信part5 ビクトリーストーン! 2008.11.9
馬渡島3日目。天気は曇り。

島のおもな見どころはほぼ周ったので、
今日は、もう一度見たい場所を再度訪ねてみることにした。

その前に、まずはビクトリーストーンを目指す。

馬渡島のパンフレットの一番最初に、
どの見どころよりも大きく紹介されているビクトリーストーン。
島の酒屋のウインドーには、
ビクトリーストーンを紹介するB4くらいのポスターも貼られていた。

勝利をつかむビクトリーストーンが馬渡島に今、甦る。

勝利の伝説は馬渡島から始まる!

幸運をつかむ“勝利の石” 見て触れて優勝祈願!


どういうことかというと……

文永の役(元寇ですね)のとき、
島民全員が城山(昨日行った展望台があるところ)で元軍の撃退につとめたが、
とうとう追い詰められて、島民側は矢も小石も尽き果ててしまった。
しかし、一人の老婆が石臼を元軍めがけて投げ、なんと元軍を退散させたという。
そのときの石が馬渡島にあって、「勝利の石」として語り継がれているのだとか。
(ビクトリーストーンって、なんで英語やねん!)

でも、パンフにもポスターにも、その在り処はのっていない。

どこなんだろう?
ポスターの貼ってあった酒屋に訊くと、
「あそこに見える黒い玄関の家にある」という。

そこでその家を訪ねたが、声をかけても誰も出てこない。
仕方がないので、その家の近所の寺で、墓掃除をしていたばあちゃんをつかまえる。

「すいません。この石臼が見たいんですけど、どこにあるのでしょうか」

「あぁ、それなら」といって、おばあちゃんがその家に案内してくれた。

マサコさーん! マサコさーん!!

ばあちゃんは呼ぶが、誰も出てこない。

「じゃあ、ここ入ればありよる」と、ばあちゃんは玄関を開けた。

そして! そこで! わたしが見たものは……

下駄箱の上に載った、ビクトリーストーンというにはあまりにも……な、石だった。

わたしが写真を撮ろうとするとバタバタと音がして、奥からマサコさんが出てきた。
ばあちゃんとわたしが「石を見に来た」というと、
「あら、そうですか。ごめんなさいねー」といいながら、
玄関入ったところに無造作に放置されていた、取り込んだ洗濯物を片付けた。

それにしても、人んちに入らないと見られないものを、
パンフレットやポスターでデカデカととりあげるのはいかがなものか。w
だいたい、この小さい石の塊で元軍を退散させた、なんて伝説も、
思いっきり怪しいじゃん。
まぁ、優勝、必勝を期す人は、話のタネに行ってみてもいいかも。
見るときはマサコさんに一声かけるのを忘れずに。www

わたしは写真を撮ったあと、
マサコさんとおばあちゃんに礼を言ってその家を後にし、島を歩き始めた。
番所の辻は一昨日よりも眺めがよかった。
教会では、ステンドグラスの写真を撮ってみた。

そして、午後1時発の船で島をあとにした。

「きょうはちょっとシケてますね」と宿の奥さんが言ったとおり、
玄界灘は男の漁場風の雰囲気満載で、
午前中に見かけた漁船は、前後左右上下、木の葉のように揺れて、
ザブンザブンと波をかぶっていた。

連絡船・郵正丸の揺れは、まぁ想定内だった。

2日ぶりに呼子に戻り、
今度は飽食の宿ではないお手ごろな国民宿舎にチェックインし、
近くの海水浴場までぷらっと歩いてみた。

季節外れの海水浴場をそぞろ歩くのは、悪いもんじゃない。
ほとんど人影のない海岸。
防波堤で釣りをしている人がチラホラ。ほかにウォーキングしてる人や、
駐車場に停めたクルマで休憩してる人がひとりずつ。

たっぷり海の空気を吸い込んで、わたしは宿に戻った。

↓上段・ビクトリーストーンを紹介する島のパンフレットと、
  下駄箱の上のビクトリーストーン。小さな金色の招き猫が載っている。
  下段左&中・馬渡教会の柱とステンドグラス。
  下段右・季節外れの海水浴場。管理棟の入口に描かれていた絵は、
  水泳を楽しんでいるというより溺れているふう。

2008島おたく通信part4 今日も海鮮三昧。 2008.11.8
馬渡島。読めましたか? 「まだらしま」です。
ちなみに的山大島は「あづちおおしま」、度島は「たくしま」です。

馬渡島は唐津藩馬放牧場があった島ですが、
昨日の日記のとおり、ヤギだらけです。

今日は、島の東側を歩き回っていました。
まずは教会へ。
もともとは平戸の紐差にあった教会を移築したもので、
昭和初期の建物だそうです。
天井や壁に歴史を感じさせますが、
床は張り替えてあって、ピカピカに磨き上げられていました。
どこの教会もだいたいそうですが、
ここにも信者さんの掃除当番表が貼ってありました。
ご苦労さまです。

それから島の北側の道路をぐるっと歩き、海岸に下りてみました。
塩屋の浦と呼ばれる海岸は、
一応、海まで軽自動車が通れるくらいの舗装路がついているのですが、
かなり荒れていました。
島の人がここに降りることはめったになさそうです。
正面には壱岐がうっすらと見えました。

一人っきりの海岸で、お昼ごはん。
天気が悪いので、なんだかサビスィーです。
ここでポツリポツリと雨。はぁー、またか。

カッパを着こんで、再び歩きはじめ、
なんてことない島の道をぐるぐる回って宿に帰りました。

夕食には、活造りではないものの、今日もイカの刺身が出ました。
あと、活アワビも! (゚Д゚;)

アワビちゃん、箸でつつくと、イヤーンとばかりに身をよじります。

ちょんちょん。←箸でつつく音。

イヤーン←アワビちゃんの身悶え。

ちょんちょん。

イヤーン。

せっかくのアワビだけど、あたしには手をくだせません。。。

でも、食欲とは残酷なもので、いい手を思いつきました。( ゚д゚)ハッ!

固形燃料でグツグツ煮たった味噌味の鍋のなかに、
アワビちゃんを投入〜!

ぐったりしたアワビちゃんを取り出して、おいしくいただきましたとさ。

↓上・馬渡カトリック教会の外と内部。暮らしのなかに溶け込んでいる感のある教会です。
  下左・塩屋の浦。誰もいなくて寂しい。。。 下右・夕食に出たアワビちゃん。生きていました。

2008 島おたく通信 part 3 馬渡島はヤギの島。 2008.11.7
今日も呼子の町を少し歩いて、10:55の船で馬渡島に渡りました。

馬渡島。

さて、なんと読むでしょう?
答えは明日の日記で。

昨年、的山大島や度島を巡っていたとき、この島の姿をたびたび海の向こうに見ていました。

的山大島。度島。

さて、なんと読むでしょう?(しつこい)

馬渡島は教会のある島と聞いていて、
昨日の松島もそうですが、江戸時代にキリシタン弾圧を逃れて
長崎から渡ってきた人を祖先にもつ人が半数くらいいるそうです。

この島には2泊する予定なので、
教会は明日に回して、まずは島の西側を歩き回りました。

で、びっくりしたのは、島中、ヤギの糞だらけ。
集落の周りはさすがに少ないのですが、
集落から少し離れると、道という道にヤギの糞、
そしてときどきヤギじゃない獣(イノシシ?)の糞。

最初はよけながら歩いていたわたしも、
最後にはまったく気にならなくなりました。w

九州に来てからというもの、天気は悪く、昨日の午後はどしゃぶり。
今日も雨の予報。
ポツポツとしか降られなかったのはラッキーですが、
アップダウンの激しい道を汗水たらして登った城山展望台からの眺めは、
イマイチでした。(´・ω・`)
展望台も、糞だらけだし。。。

そこから海沿いのキャンプ場を経由して、
次は島の最高地点、番所の辻展望台(237m)へ。
キャンプ場から番所の辻までは、手元の地図では遊歩道があったのですが、
予想通り、藪の中。

さすがに1km近い道のりを藪こぎする気にはならなかったので、
もと来た道を戻り、2〜3km車道を歩いて番所の辻に向かいました。
ようやく展望台にたどり着くと。。。
雨が本降りになってきました。_| ̄|○

今日は、ビューポイント巡りをするにはイマイチでしたね。
明日も天気は雨みたいなので、
あさってにリベンジしようかと思います。

で、なぜ島中ヤギの糞だらけかというと、
野生のヤギが大量繁殖しているからなのです。
この島からブラジルに移民した人たちが、
島にヤギを放していき、それがどんどん増えてしまったとか。
道を歩いているとフツーにヤギを見かけます。
でも、ヤギは向こうから逃げていって、
イノシシみたいに襲ってこないので、まぁ許せるかな。

島の旅館の夕食は、呼子の料理旅館ほど豪華ではありませんが、
またまたイカの活き造りが出ました。
こちらに来てから、3泊目で通算3匹目です。

またまたわたしのことを睨んでいます。。。(゚Д゚;)

↓上・馬渡島漁港と集落の眺め。この集落は仏教徒の集落です。
  神社やお寺があります。わたしの宿も見えています。
  中・ヤギです。
  下・今日もイカです。わたしのカラダの7分の1くらいがイカになっています。
 右下・夏休み期間だけオープンするらしい石ノ内キャンプ場(もちろん糞だらけ)と
  番所の辻展望台を結ぶ遊歩道。藪こぎ検定2級のわたしも、リタイア。(゚Д゚;)

2008 島おたく通信 part2 急坂の松島、ずぶぬれの加部島。 2008.11.6
今日は呼子の朝市をさらっと眺めて、10:00の船で松島に渡りました。
どう見ても漁船な連絡船で15分。
手元の資料では人口90人くらいの島となっています。
島民はすべてカトリック教徒だそうで、港に面して小さな教会が立っています。
昨年、長崎の黒島や平戸島など、隠れキリシタンゆかりの島を巡りましたが、
佐賀にも、長崎から逃れてきた信者たちが移り住んだ島があって、
ここもそのひとつです。

島の地形は急峻で、
港から急な坂道が続き、島の中央部の鞍部と小学校裏の山に
少し畑がある感じでした。

人は、のべ10人くらい見かけたでしょうか。
でも、農作業をしていたり、船に乗っていたりで、
島の人と直接話をする機会がなくて、ちょっと残念でした。

帰りの船は13:00、その次は16:00で終わり。
もう少しゆっくりしようかな、とも思ったのですが、
だいたい島を巡ったので、13:00の船で島をあとにしました。

呼子に戻ってから、宿で自転車(ボロいママチャリ)を貸してもらい、
今度は架橋島の加部島へ。

呼子から加部島の端っこまでの距離は、6.5kmと聞いていたのですが、
ちょっと甘くみていました。

アップダウンが激しい。。。(*´д`*)ハァハァ

半分は自転車を押して、ヨタヨタと歩く感じ。
呼子大橋を渡り、加部島に入ったときにはもうヨレヨレ。
さらに展望公園まで真っ赤な顔で自転車を押していたら、
道路工事のおっさんに声をかけられました。

おっさんたち「どっから来たの?」

わたし「東京からです」

おっさんたち「えー! そりゃ遠いところから。
何日かかった? 自転車はフェリーに載せて来よったと?」

そんなバナナ。。。(´Д`;)

でも、加部島をチャリで走っていると、ホントに不思議な目でみられます。
別のところでも、「どこから自転車で?」と聞かれました。

呼子からそれほどの距離ではないものの、
チャリで来る人は皆無(アップダウンは激しいし、
そもそも呼子にレンタサイクルもないし)のようです。

ちょっと空模様が怪しくなってきましたが、そのまま島の先端、杉の原へ。
さきほどの松島や隣の加唐島を正面に望む開放感たっぷりの草原で、
なかなかのおすすめスポットです。

でも、ついにここで雨。しかも本降り。
カッパや傘をもっていなかったので、ずぶぬれになって呼子まで戻りました。
11月だけど、暖かい日で本当によかった。

宿の夕食は昨日にも増して、激しく豪華でした。
アワビの煮物、刺身、またまたイカの活き造り、伊勢海老の中華炒め。。。
せっかくチャリでエネルギーを消費したのに、
その100万倍くらい補ってしまったとさ。(´Д`;)

↓上段左・松島の港と松島カトリック教会。
  上段右・教会の内部です。イカリが祭壇に描かれているのが珍しい。
  中段左・加部島杉の原からの眺め。晴れていたらすごくいい場所だと思う。
  中段右・加部島にはまっすぐな道もあるのです。
  下段・刺身とか煮物とか牛肉の朴葉味噌焼きとか、こんなに豪華なのに、
  さらにイカの活き造りだの伊勢海老だのイカシュウマイだの茶碗蒸しだのが出て、
  イカのゲソは天ぷらにしてくれました。部屋はボロいけど、この宿はおすすめ。

2008 島おたく通信 part1 呼子にて。 2008.11.5
はぁー、今年はこの日の来るのが本当に長かった。

季節はどっぷりと秋になり、朝晩はストーブを入れるようになった今日このごろ、
ついに、ついに! 島へと旅立ちました。

仕事の関係で、11月下旬には東京に戻らないといけないので、
残念ながら今年の島旅は、約3週間と短めです。(´;ω;`)ウッ…

でも、「仕事したくない病」の限界まできていて、
いやがる自分をなだめすかして仕事をしてきたので、
本当に旅立ててうれしいっす! 。・゚・(ノ∀`)・゚・。

夏の名残を感じさせる初秋の風にそよそよと吹かれながら、夕暮れの浜辺でビール、
なんてことは、いまの時期ではできませんが、
木枯らしにビュービュー吹かれながら、
荒波押し寄せる玄界灘の眺めを楽しんできたいと思います!

そう。今年は佐賀の7つの島のうち、行っていない5つの島を巡り、
壱岐・対馬に渡って、その足で一気に西表に行こうと思います。
玄界灘が、わたしを呼んでいるのですっ☆

と、いうわけで、福岡に飛び、呼子までやってきました。
でもね、シーズンオフの一人旅なので、
小川島と加唐島では宿泊を断られ、(´・ω・`)ガッカリ・・・なのです。
神集島もダメかも。。。
ただ、佐賀の島は全部、岸から近くて日帰りが可能なので、
ひとまず呼子をベースに周ってきます。

今日は呼子の料理旅館で、飽食、飽食♪
てか、胃拡張のわたしですら、全然食べきれないボリューム。
(ちょっとお高い宿ですが)

生き造りのイカがじっとわたしを睨んでいて、怖かったです。。。
しかもときどき暴れるし。

イカの祟りにあいませぬよう、あいませぬよう。。。

↓左上・呼子大橋の夕暮れ。ほかは夕食。イカなしでもかなりのボリューム。
  ゲソは好みに応じて調理してくれます。わたしは焼いてもらいました。唐揚げもよかったな。

旅立ちの前日。 2008.11.4
3連休のうちの2日間、仕事場に行って、机の周りを狂ったように片付けました。

そしたら、なんとなく「これで旅立てる」という気になってきました。

今日は、ちょっとした残務を整理しに仕事場へ。

机に「失踪届」を貼り、アルバイトさんに留守中の仕事の申し送りをして、
帰りに神田に寄って帰りました。

神田に行ったのは、愛用のリュックが壊れてしまって、
新しいリュックを見たかったから。
もちろん、時間があれば板とブーツも見たかったけど、ひとまず今日は断念。

夏は山登り用に使えて、冬はスキーを縛れて、
30リットルくらい入る使い勝手のいいリュックが目当てだったのですが、
結局見つからずに帰りました。。。
これまでのリュックはまさにそんな感じだったけど、
スキーの板は一度も縛ることないまま、壊れちゃった。w

あとは部屋の片付けですが、
床中に散らばっていたさまざまなものを袋にガーッと入れて、
片付けたことにしちゃいました。
わたしの部屋は、そんな袋とか箱が盛りだくさんで、
だんだん自分の居場所がなくなっているのだ。(´Д`;)

↓さ○いやスポーツに寄ったあと、水道橋のお好み焼屋に行きました。
  客は学生が多くて、「若いっていいな」と思った。w

セコい人間はソンをする。 2008.11.3
いよいよ、5日から島に旅立つことにしました!
今日は行きの飛行機のチケットを買いました!
まずは福岡に行ってきます!

なわけで、この3連休、一昨日に引き続き今日も銀座で仕事です。

で、ビミョーにショックな出来事が。

わたしは銀座まで、片道たかだか20円を節約するために地下鉄の回数券を使っているのですが、
ちょうど切らしてしまったので買ってたら……


終電がいっちゃった。。。_| ̄|○


こんなことなら、パスモで乗っておけばよかったよ。

まぁ終電とはいっても、地下鉄の終電で、途中でJRに乗り換えればまだ電車はあるのです。
ただ地下鉄+JRなので、プラス150円の散財。(´Д`;)
こんなことをわざわざブログに綴るヲイラって、つくづくセコいな。。。

散歩。 2008.11.2
3連休中日。

おだやかな秋晴れの空が広がっていたので、吉祥寺まで散歩に行きました。

吉祥寺はいい街です。なんかささやかなシアワセに溢れているような気がします。
新宿みたいに街がデカくなくて、殺伐としていないところが好きです。
女の子たちもおしゃれだし。

吉祥寺に住むのも悪くないかな、と思いますが、
おしゃれなお店、おいしいお店目白押しで、お金がいくらあっても足りなそうです。

よく寄るスタバには、もうクリスマスツリーが飾られていました。
あー、もう冬なんですねー。

冬といえばスキー、というわけで、ワタクシ、今年は板とブーツを買います!(宣言)
実は昨日からネットで狙っていた板(今日まで20%オフ、明日からは10%オフ)があって、
買おうかどうしようかすごーくすごーく迷っていたのですが、
どこかで実物を見てからにしようと思って、やめました。

20%オフで10万3500円だったかな。結構いいお値段です。
でも、きっと、その板(サロモンDEMO X3)買っちゃいそう。
久々にロシもいいかな、と思うけど、どんな感じなのかな。

結局なんだかんだで、パウダーガールでいいじゃん、ってことになったりしてね。

↓左・クリスマスツリーの季節です。
  右上・近所の家にハロウィンの名残が。ハロウィン祝って、なにか楽しいのかな。
  右中・おっさん座りのネコ。へんなの。
  右下・昼はヨドバシ裏のラーメン屋でつけ麺食べました。まぁまぁでした。

早いもので 2008.11.1
今年も残すところあと2か月になってしまいました。

今日は仕事場で少し机の周りを整理しましたが、全然片付きません。

いつも横を通る銀座のバッグ屋のウィンドーに、
何日か前からすっごくかわいいバッグが並んでいて、
気になるので店に入ってみたら、毛糸のバッグが約50Kでした。
うーん。。。毛糸で50Kはちょっとねー。でもかわいいんだよなー。
そろそろスキーの板とブーツも買わなくちゃいけないし。迷います。

↓夜は近所のもつ鍋屋に行きました。
  わたしは内臓系が苦手でもつは食べないので、ニラとキャベツばかり食べていましたが、
 なかなか美味かったっす。


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